死が二人を分かつとも

「起きたか」

 目を開いた私の前に立っている人は、特段驚いた様子も見せずにそう言った。たった今自分がかけた術が失敗しているかもしれないなんてことは、万に一つもないと疑いもせず信じきっているかのように。

「ええ、おかげさまで。まずは? お茶ですか、それとも」
「そうだ――と言いたいがまずはこちらが先だ」

 キッチンの方へ向かおうとした私の腕を素早く捉えると、ネロスさんは私の顔を間近で覗き込むように観察を始める。昔、私がアポクリファから戻ってきた時もそうだったように、観察したいという好奇心を抑えられないという様子で。

「肌の色、瞳孔の開き、共に正常。穴という穴から触手が飛び出てくるような様子もなし、と」

 この手の魔術は決して私の専門ではないのだけれど、テルヴァンニのマスター・ウィザードがその知識の粋を用いて改良を重ねたなら、こうも凄まじい威力を持った魔法を創り出すこともできるのだろうか。

 マスター・ネロスがいつか私にこんな魔術をかけると宣言してからもう長い時が経ち、私はそれが本気なのか冗談なのかの区別がどうにもつかなかったのだけれど、今こうして自分の身体を動かしている常ならぬ力を鑑みれば、さすがのネロスさんでも相当な時間を研究に充てていたということがわかる。

 ――なぜなら私はもう死んでいて、この人の死霊術によって呼び戻されたのだから。

「ふむ、一通り見る限り生きていた頃との差は認められんな。唸るでもなし、大変結構」

 私が知っている死霊術は術者の意思によって動く人形のようなもので、聞いた話によれば術をかけられた者は絶え間ない苦痛に呻くという。微かに残った自我は安息を求めて恨み言を呟き、術が切れた後は骨さえ残らず灰になって消えるとのことだ。

 私自身はもっぱらデイドラを呼び出す方の召喚しか使うことはなかったので、まさか自分の身体でその術の神髄を知ることになるとは思ってもみなかったのだけれど、少なくとも私は自分の思ったように手や足を動かすこともできるし、あらゆる場所を刃物で貫かれているような痛みを感じているわけでもない。

 エルフではない私が日毎に老いていくのを見ていたネロスさんは、この人の破天荒なやり方にほとんど唯一合わせられる私という存在が、近いうちにこの世からいなくなることをどうやら惜しんでくれてはいたようだ。お前が死ねば蘇らせて仕えさせる、口うるさいお前が文句も言わず働くようになるのなら願ったりだ――そう面と向かって言われた時は、曲がりなりにも妻という立場の相手に投げかける言葉とはとても思えなかったけれど。

 でもそう言っていたからにはいわゆる普通の死霊術をかけられるものと思っていたのに、どうしてこんな風にある意味で自由な術をかけることにしたのだろうか。対象者がより複雑な行動を取れるようにすればするほど、術者の負担は比例して大きくなっていくのが魔術の常だ。生きている時とほぼ変わらないようなこんな術を常時かけ続けるとしたら、いかにモロウィンド最強の魔術師たるネロスさんでもその制約は計り知れない。

「よしアルマ、ならばカニスの根の茶を持ってこい。薄めるなよ、わかっているだろうが」
「はい」

 起き上がれなくなってからは来ることもできなかったキッチンへと赴くと、私はずっとそうしてきたように炒ったカニスの根で熱いお茶を淹れる。懐かしいポット、揃いのカップ。それを持ってネロスさんのところへ戻ると、その人はカップを一度傾け満足そうに頷いた。

「いいぞ。これで四六時中いつでも美味い茶が飲める、実にいいことだ。この数週間は飲めたものではなくてな」
「味は以前と変わっていませんか」

 死んでいるという自覚があるのにそんなことを気にするのもおかしいけれど。でも私の小さな不安にもマスターは上機嫌に答える。

「変わっていたら術は失敗だ。だが私はお前をそのまま蘇らせるように呪文を改良した。犠牲は少なくなかったが、お前の能力を損なわないようにするためには不可欠だった」
「でもネロスさん、どうして私にこんな高度な術をかけたんです? いくらあなたが強大なウィザードであっても、こんな複雑な術をかけ続けていたら――」

 私がそこで言葉を切ったのは何もその先を続けるのを躊躇したからではない。カップを置いたマスター・ネロスが、私を引き寄せて唇を重ねたからだ。私がまだ普通に生きていた頃、時折この人がそうしていたように。その気まぐれな性格が赴くままに私に腕を伸ばしてくれる時、いつもこんな風にしてくれていたように。

「アルマ、お前は私の配偶者だ。私自らが選んだ、我が妻だ」

 甘くも切ない口づけの後でネロスさんは声を落として告げる。

「私よりも先に死ぬことなど許さん。お前がエルフであろうとなかろうと、そんなことは一切関係ない。お前は私のものだ。寿命が尽きたとて、構うものか」

 そして私の頬を伝っていく涙を無造作にその手で拭うと、目を細めながら自慢げに言った。

「お前は運が良いのだぞ。これが私でなければお前はドラウグルとそう大差もない存在に成り下がっていただろう。より一層の感謝を胸に、ますます真摯に私に仕えるのだな」
「……もう、あなたという人は……」

 永遠にも近い時を生きるエルフの魔術師が、ただ一人私だけにくれたその妻という称号。死後に私の魂を手に入れたのは並み居るデイドラの王たちではなく、強欲さでは彼らにも負けない高慢で強引なダンマーの夫。

「さあ茶をもう一杯注いでこい。それと腹が空いた、飯の用意もだ」
「了解しました。でもその前に――」
「何だ? っ!」

 私はそっと踵を浮かせ、変わらない愛を込めてキスを返す。長く尖った耳の先が少しだけ赤くなったのを確かめてから、私はネロスさんの言いつけ通りにするために部屋を出て行った。