竜の血脈

 ある晴れた日、イヴァルステッドを流れる川にかかる橋の上に1人の男と1人の少年の姿があった。

「うわ……いつ見てもすごい山。母さん、本当に7千段も登るのかな」

 歳の頃10を数えようかというその少年は巡礼地を戴く高い山を目を丸くして眺め、しばし前にその中へと消えていった母親の背中を探そうとしている。その髪は陽射しを浴びて蜂蜜色に煌めき、すぐ隣で欄干にもたれかかっている同じ色の髪をした男との血の繋がりを示すに十分だった。

「そのうちお前も自分の足で登るようになる。もう親の背に負われるような歳でもないからな」
「!」

 少年はあからさまに嫌そうな顔をしながらも、数年前この頂上でグレイビアードたちと面会した時に彼をそこまで運んだのが目の前にいる相手だということを忘れたわけではない。

 まだ幼い少年にとって、驚くほどたくさんのことを知っている父親は自慢でありながらもどこか不思議な存在だ。歴史書にも載っていないような昔のことはまるでそこにいたかのように詳しいのに、誰もが知っているようなことには初めて聞いたような顔をしたりもする。そしてひとたび剣を取ればその腕前は歴戦の戦士にも劣らず、魔法も名手として名高い術師と同じかそれ以上のものさえ軽々と使いこなすとなれば、母親と出会う前は一体何をしていたのか気にもかかろうというものだろう。

 しかしその問いに欲しい答えが与えられたことは未だにない。あまり遊んでもらったり褒められたという記憶はないにせよ仲が悪いというわけでもないのに、父親が少年の前で自分のことを話すことはほとんどないのだ。最近1度だけ、覚え始めたドラゴン語の単語の中に父の名と同じ組み合わせを見つけたと報告した時にはこれまでとはどこか違う表情をしてくれたものだが、返ってきたのは結局綴りの間違いを指摘する言葉だけでずいぶんとがっかりしたのを覚えている。

 “忠誠”と“案内人”、その2つの言葉を合わせればそれは少年の父の名になる。父親は少なくともドラゴン語が読めて、ドラゴンにも詳しく、今では使える者が限られているスゥームを驚くほど巧みに使いこなすということ以外のことを積極的に明かそうとはしないが、もっと時が経てばその過去をより深くその口から語ってくれる日は来るのだろうか。

 少年はそれがとても楽しみであると同時に、その時のことを思うと父親の秘密を知ってしまうのが何となく恐いような、それを聞く時には例えいくつになっていようと母親にも一緒にいてもらわなければならないような、複雑な気持ちを味わうのだ。

「天気がいいとはいえここでずっと待っているわけにもいくまい。そろそろ昼時だ、何か食べるか?」
「うん」

 村の中を横切り、2人は少し寂れた宿屋の扉を開く。いくつかの料理を注文し、代金を支払うと少年と父親は待ち時間の間に出されたハニーナッツをつまみながら頼んだ品が出来上がるのを待っていた。

「――ねえ、ところで今日はアルマが来てるんですってね!」

 そんな時、ホールの反対側から村人の話し声が聞こえて親子は同時に振り返る。

「ああ、さっきハイ・フロスガーの方に行ったのを見たよ。旦那と息子も来てたから、一緒に登ったんでなければ多分どこかそのあたりに……あ」

 そこで同じ色をした2組の目がそちらへ向けられているのに気づいた村人は慌てて口を噤んだ。別に悪口を言われているわけでもないのだから気にしていたわけではないのだが、もし相手が委縮してしまったならそれはきっとそう目つきがいいとは言えない父親のせいであるか、あるいはそれをそっくりそのまま受け継いだ自分にも責任の一端があったかもしれないと少年は思う。

「今、母さんの話してたね」
「そうだな」
「噂されるくらい有名なんて、なんかやっぱり照れるな」
「だがお前じゃないだろう、噂されているのは」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
「?」

 たまにこうして話がかみ合わないこともあるが、それでも父親が自分を厭っているわけではないということは本人も好物であるハニーナッツを息子の方に多く残しておいてくれていることでもよくわかる。だがその姿をよくよく見ていると何かを抑えて生きているような気もするのはなぜなのだろう。何事も知りたいと思うと止められないのは確実に両親の血だとは思うが、それを特に父親の方はことさら気にしているようにも思える。

「……気を遣わせたか」

 宿の吟遊詩人が奏で始めた曲に父親はつと顔を上げ、そう小さく呟いたことで少年はそれが『ドラゴンボーンが来る』であることに気づいた。ドラゴンボーン――定命の身体にドラゴンの魂を持つ者。世界を救った英雄、少年の母親。

「悪いねえ、小さい村だからみんな噂が好きで。そうでなくても、俺も含めてアルマに世話になったことがある奴も多いもんだから」

 湯気の立つ料理を運びながら宿の主人が困ったように続け、父親は気にしていないと告げると少年に皿を渡した。それなりに賑わう食堂の中で2人は食事を終え、母親の作るものとはまた少し風味の違うスイート・ロールを口に運ぶ。

「母さんがこんなに有名なのって、やっぱりドラゴンボーンだからなのかな?」
「どうした、急に」
「……僕もそうなんだって、ハイ・フロスガーのおじさんたちも前に言ってたよね」

 まだ難しい話などわからない歳頃ではあったが、前にこの山を父親に背負われて登った時に若干の畏怖を込めて告げられた言葉はまだはっきりと覚えている。そうそう使う機会もないとはいえ、少年もこの歳で既にいくつかのシャウトを身につけていることからもそれは明白だ。だが声の力の使い手というだけならば少ないとはいえいないというわけでもない。

「もっといっぱい悪いドラゴンがいたらなあ。そうしたら僕も母さんみたいに戦って倒して有名になれたかもしれないのに」

 少年が自分の力を確かめてみたいと思ったところでその機会などもはや訪れないであろうという予想はある意味で残念なものだ。ドラゴンボーンが他とは一線を画すほどに特殊なのはドラゴンソウルを吸収できるか否かという点にあるということがようやくわかりかけてきたというのに、見境なく暴れるようなドラゴンなど今ではもうほとんどいない。少年はだからこそこんな軽口をついこぼしてしまったのだが、父親はそんな息子の顔をじっと見つめると絞り出すような声で言った。

「そういう考え方をしているうちは、お前は母親のようにはなれん」

 それは何かを悔いるような、戒めるような口調だった。少年は怒られているわけではないにせよ、失言をしてしまった自覚があるが故に俯くと小さな声で聞き返す。

「じゃあ、僕も悪いドラゴンボーンになっちゃうってこと?」
「!」

 父親は薄い唇を引き結び、息子の言葉の続きを待つ。少年はこんな話を始めてしまったことを悔やんだが、このままごまかせるような相手でもない。

「この前……ソルスセイムで聞いたよ、最初のドラゴンボーンは悪い人だったって。ドラゴンボーンはみんないい人っていうわけじゃないんだって、そう言ってた」
「…………」

 時代の節目に現れるというドラゴンボーン。人を導くために神から遣わされるという存在の最初の1人がどんな人物だったのかが記された古代の文献は少年にはまだ難しく、その内容を理解できる年齢でもない。しかし自分も、あるいは母親も、何かを間違えれば“悪いドラゴンボーン”になってしまうかもしれないという事実は恐ろしく、またなぜか酷く悲しく感じた。

 最初のドラゴンボーンには母親にとってのグレイビアードのような、少年にとっての両親のような、導いてくれる人物はいなかったのだろうか。もしそんな存在がいれば、最初の1人も歴史に名を遺す偉大な英雄として讃えられていたのだろうか。忌み名すら忘れ去られるような伝説の中に残るだけではなく。

「……最初のドラゴンボーンはお前の母親とは違う。その男はわかっていなかった、他の者より力があるということがどういう意味を持つのかを」

 だがしばらくの沈黙の後、父親は少年にだけ聞こえるような声でそっと告げた。

「他の者より強いということは、弱い者を護る定めにあるからだ。ドラゴンを斃せるということは、それに虐げられていた者を救う運命にあるからだ」

 少年が顔を上げると、父親はまだ真っ直ぐに息子を見ていた。その目にはもう今しがたまでの悔恨の色は見えず、いつもと同じ謎めいた静けさがあるだけだ。

「お前の母親はそれを知っていた。お前はどうだ?」
「…………」

 少年はその問いかけにぱちぱちと目を瞬かせた後、にこっと笑うと力強く頷いた。それを見た父親の口元が僅かに緩み、残り僅かなハニーナッツの器を息子へと差し出す。元気よくその中身を空にしながら、少年はハチミツ酒を傾ける父親に言った。

「父さんってさ、そういうところちょっとかっこいいよね」
「……そうか?」

 数千年前からソルスセイムの中央にあるという朽ちた聖堂、そこを治めていたドラゴンプリーストが父親と同じ名前であることに少年が何も引っ掛かりを感じていないわけではない。だが例えそれを父親に尋ねてみたところできっと何も答えてはくれないだろうということもわかっている。そもそも目の前にいる父親は母親よりも幾分か歳上には見えても紛れもなく同じ時代を生きている人間であり、そんな昔のことと関係があるとも思えない。

 だが自分の中の何かがいつかきっと、父親その人の口から真実を聞かせてもらえる日が来ると知らせて止まないのだ。

「――どうかしましたか? パーサーナックスさん」

 その頃、世界のノドでは最後のドラゴンボーンの称号を息子に譲った母親が老いた竜を見上げて尋ねていた。

「いや、ドヴァーキン。お前の家族の話が聞こえてな」
「家族の?」
「ああ」

 竜教団の裏切り者、この世に初めて現れた邪悪なドラゴンボーンのことはパーサーナックスももちろん知っていた。ドラゴンプリーストとしての力にいくつもの竜魂を帯びたその者が同じ神官に敗れアポクリファへと逃げるまで、ドラゴンたちも迂闊に手は出せないというこれまでにはなかった経験をしたことも覚えている。

 そんな男が再びタムリエルに帰還を目論んでいるという噂だけでも警戒するには余りあり、当然ながら最後のドラゴンボーンたるアルマとその魂の力を求めて接触するであろうこともわかりきっていたが、彼女がソルスセイムへと旅立った後、裏切り者本人を伴ってこの山へと姿を見せた時には驚きという言葉では言い表せないような感情を抱いたものだ。

 反省や悔恨といったものには無縁に思える傲慢な男は気の遠くなるような年月を経てなお何らパーサーナックスに言葉を発することもなく、ただアルマの傍にその影のように控えていた。だが既に主人として仕えた者を2度までも裏切っているという確かな過去からすれば、男の言動には気をつけるよう忠告せずにはいられない。しかしそんな釘では意味などなかったと思わせられる日は決して遥か先ではなかった。

「パーサーナックスさん、私はミラークさんと一緒に生きていくことにしました」

 律儀にもそう報告しに来たアルマは幸福そうな表情ではあったが、こちらの内心は穏やかなものとは言い難かった。なぜそんな危険な男を、と言いたいところを堪えるだけで精一杯だ。人間の感情はドヴの身には複雑怪奇とはいえ、裏切り者はアルマを愛しているのだろうか? 彼女をうまく篭絡し、その想いを利用しようとしているだけではないのだろうか?

「……そう心配せずとも、予想は裏切らせてもらおう」

 だが口数の少ないその男は1度だけ顔を上げてパーサーナックスを見ると、何もかもわかっているとばかりにそう言った。

 それ以来、老いたドラゴンはハイ・フロスガーの頂きから折に触れアルマの様子を見守っている。幸運にも男の言葉通り不安は現実になることなく、数年の時を経て2人の間には子供も生まれた。今ではパーサーナックスとてその男を警戒しているわけではなく、グレイビアードたちも敢えて話題にはしない黙認状態にあったが、つい先ほど耳にした言葉からもそれが間違いではなかったことは確信が持てる。

「時にアルマよ、なぜミラークは自分もドヴァーキンであることを息子に言わなかった?」
「あの人がそうしてほしいと言ったんです。黙っていてもいずれわかる日は来るでしょうが、自分がその時のことを教えてもいいと思えるまでは、と」
「フーム?」
「……自分と同じ道を歩んでしまうことを恐れているのかもしれません。2人はそっくりなのに、ミラークさんは頑なに子供が私似だと言って譲りませんし」

 過去の悪行を知っている身からすればずいぶんと丸くなったものだと思わずにはいられない。力を、禁断の知識を求めソルスセイム中のドラゴンを喰い尽くした男の末路が息子の行く末を心配する父親だなどと誰が考えるだろうか。ヴァーロックあたりが知ったらそれこそ言葉も出ないに違いない。

「でももしあの子が道を間違えるようなことになっても、今は止められる人がいますから。私は心配していませんが、男の人は何かと不安がりますからね」

 知らずのうちに難しい顔をしていたのだろうパーサーナックスを茶化すように笑ってアルマが告げる。それは愛する家族を持つ者が見せる幸福そうな笑顔だった。

 過去を悔い、新たな生き方を選ぶことがどれほどの苦難に満ちているのかをパーサーナックスほどに知り抜いている者もまたいない。ミラークが何を思い今の生活を営んでいるのかまではわからないとはいえ、記憶を失い孤独だった娘は今や妻となり、母となった。

 そんなアルマのこうも幸せそうな姿を見てしまえば例え小言の1つだろうと口にしようという気は失せてしまうだろう。そしてその幸福を彼女にもたらしたのが他ならぬミラークであるとすれば。

「さあ、ならばもう行くがいい。あまりお前を引き留めて2人がかりでやって来られてはたまらんからな」

 ドラゴンボーンは血筋ではなく、アカトシュに選ばれし者が賜る恩恵だ。それが2人の間に生まれたということは、ミラークとアルマの息子もまた大きな宿命を持ってこの世界に現れたということなのだろう。それが決して簡単な運命ではないと予想がついているからこそ、親子3人で平和に過ごせる時間は大切にしてやりたい。

 パーサーナックスは微かな侘しさと共にアルマの背を見送り、彼女の帰りを待つ2人を山の頂から眺めた。