世の中には言ってはいけないことがある。それは万人に対してのものもあるけれど、ある特定の人物だけには絶対に聞かれてはいけない類のものもある。私はたった今、まさしくこの瞬間、後者を口にしてしまった。売り言葉に買い言葉という、どうしようもなさの極地のような理由で。
「……アルマ、貴様は今何と言った?」
地の底を這うような声。きつく眉を寄せて私を見下ろしている黒いコートのアルトマーは、視線で人が殺せるものならもう百回は私を串刺しにしているだろう。よく見ればその肩が小さく震えているような気さえする。
それも当然だ――彼にとっては地虫のような存在の私から、分不相応な想いを寄せられていたともなれば。
「な……にも……今のは冗だ」
「冗談などと言ったら貴様を殺す」
そろそろと後ずさりしつつ必死になって言い訳を考えても、アンカノさんの右手は既に魔法の光を纏い始めている。どっちにせよ息の根を止める気なら、わざわざ聞き返すことなんてないのに。
「おち……落ち着いてください、私はただ」
「ただ? ただ、何だ」
なぜこんなことになってしまったのだろう。最初はいつものように些細なことで文句を言われているだけだった。でもそれがアンカノさんにとってはそれなりに重要なストレス発散の機会でもあるとわかっているから、私は口答えなんて滅多にしない。なのに、どうして今日に限って、こんな。
エルフですらない私に完膚なきまでに破れた上、命を救われたなんてきっとこの人にとっては死にも等しい恥辱だろう。それでも私はアンカノさんの命を奪うなんてとてもできなかった。トルフディル先生が言った通り、いつかまたこの人が敵となって再び立ちはだかる可能性があっても、生まれて初めて好きになった人を手にかけることなんて誰ができるだろうか?
そう、私はウィンターホールドの大学で過ごした日々の中でいつしかアンカノさんに好意を持った。相手から同じ想いが返ってくることなんて絶対にないとわかっていても、この高慢で野心あふれるアルトマーに私はどうしようもないほど恋をしていたのだ。
だからアンカノさんを殺さなかった私は、サイジック会がマグナスの目を回収した後一緒に旅をすることにした。さすがにあのまま大学の中にこの人が身を置き続けるのは、私がアークメイジになったこととは関係なく許せない人も多いだろうから。
自由になればきっとすぐに身をくらましていなくなってしまうかと思っていたのに、意外にもアンカノさんは私の側を離れることはなかった。その分嫌味と文句は耳にタコができるほど聞かされてはいたけれど、この人の声も魅力的だと思っている私には大したダメージはなかった。
けれど、私の気持ちだけは何があろうと打ち明けないでいようと心に決めていた。もし少しでも想いを匂わせたら、アンカノさんは今度こそ私の前から消えてしまうとわかっていたから――私を、間違いなく殺すために。
「言え、もう一度。逆らえばどんな目に遭うかわかっているな」
「……!」
なのに、今日のアンカノさんはどうして私がとどめを刺さなかったのかを閉口するほど執拗に聞いた。ごまかそうとすればするほど、アルトマーの額には青筋が浮かんで。あまりにも頭ごなしに罵声を浴びせられ続けたものだから、今日まで何とか持ちこたえていた自制心がほんの僅か綻んだ。何もかも捨ててもアンカノさんを守りたいと思った私の、心が悲鳴を上げてしまったのだ。
だから思わず言ってしまった――それはあなたを愛しているからだと。
「おい、待て!」
脱兎のように逃げ出した私の後ろから鋭い声が飛ぶ。逃げ切れるなんて無論思っていない。でもどうすればいいのかわからない。狙いを定めて飛んでくる麻痺魔法を間一髪でかわしながら、私は森の中を逃げ回ろうとして……呆気なく長い腕に捕まった。
「観念しろ。死にたくなければな」
「痛……っ」
大きな木の幹に両手首をぐっと押しつけられ、つい弱音が零れる。冷酷なサルモールの一員として名を馳せたアンカノさんが当然そんなものに心動かされるわけもなく、至近距離でかち合う視線には動揺の欠片も見えはしない。でも今すぐダガーで首を刎ねられてもおかしくないような状況なのに、私の胸は条件反射のように高鳴る鼓動を刻んでいた。ニルヤさんが言っていたように、アンカノさんはとにかく整った男前な顔立ちをしているのだ。
無礼で不遜で下賤な想いを抱いた見せしめに殺されても、こんなに近くで見つめてもらえたら恐らく悔いも残らないだろう。抵抗しようと思えばすることは難しくないかもしれないけれど、どちらにせよもうこれでアンカノさんと会うこともなくなってしまうのなら、役目の終わった命にすがる気力もなくなってしまいそうだ。
「最後にもう一度だけ聞く。先程貴様は何と言った」
私の手首を掴んだ力を緩めないまま、アンカノさんは感情のない声でそう尋ねた。
もう終わりだ、何もかも。きっとアンカノさんはここで私を処分して、意気揚々と残りの人生を謳歌するだろう。もう私のことなんて思い出すこともなく、綺麗さっぱり忘れ去ってしまうに違いない。
それを思うと無性に悲しくて、頬に一筋の涙が零れ落ちる。嫌なことは忘れてしまえと言うけれど、覚えていてもらうことはできないだろうか。千年生きるアルトマーの長い人生のどこか一瞬でも、私のことを思い出してはもらえないだろうか。例えそれが何よりも不快な思い出でしかないとしても。
「どうしても言わずにいるつもりか。ならば――」
その時、まるで時間減速のシャウトを叫んだ時のように世界が止まった。気づいた時には少し身を屈めた長身のアルトマーの唇が私のそれに重なり、深く貪るような口づけをされていたのだ。頭の中で密かに思い描いていた、決して知られてはいけない夢よりも遥かに鮮烈で激しいものを。
「……これで言うつもりになったか」
ようやく私の手を解放した相手はそう言うと手の甲で濡れた唇を拭い、肩で息を切らしながらそう言った。いつも青白い顔をしているこの人の血色が少しばかりよく見えるのは何も目の錯覚ではないのだろうけれど、どうしてアンカノさんがこんなことをしたのかは全く理解できない。
「……ひどい……」
「何?」
「わ、私の気持ちを知っていて……嫌がらせにこんなことをするなんて、ひど」
「馬鹿か貴様は!」
「――っ!」
今度は両肩を押さえつけられてまたキスをされる。最初は噛みつくように荒々しく、だんだんと甘く優しく。まるで恋人同士のようなそれに、私はもう何も考えられない。
「貴様の気持ちとやらをもう一度言う気になったか」
「え……?」
ぼうっとしたままの私にアンカノさんはどことなく落ち着かない様子でそう呟いた。
「言えと言っているのだ」
「でも……」
「早くしろ」
「ど、どうしてそんなことがそんなに知りたいんです?」
「な……!」
激怒されるかと思ったのに、なぜかアンカノさんは落ち込んでしまったように見える。そしておろおろするばかりの私の肩に置かれたままの手が震えた後で、驚くほど強く抱きしめられる。
「これでもまだわからんと言うなら、貴様の足りん脳みそなど熊にでもくれてしまえ」
「……!」
耳を澄ませていなければ聞き取れないほど小さな声で、アンカノさんは彼にしては珍しいほど不明瞭にそう言った――つまり、それは。
「あ……愛してます。あなたが好きなんです、アンカノさん」
世界を滅ぼしかけた人でも、命を奪えないほど愛している。誰かにわかってもらおうなんて思わないけれど、もし。このニルンでもしも一人だけ、この想いを理解してほしい人がいるとするなら。
「遅いのだ、馬鹿め。一体いつ言い出すものかと待ってみれば、この私をこんなに待たせるとは」
「だ、って」
「貴様を一生逃がさんぞ。覚悟しろ、アルマ」
こんな傲慢な言葉がプロポーズのように聞こえるなんて、私も相当おかしくなってしまったのかもしれない。それでも私の口元は緩み、今度は嬉しさのあまりに涙があふれる。だからもちろん私はこう答えた――“はい、喜んで”と。
