もうすぐミストレス・アルマが帰ってくる。俺は既にスペルライトに昇進を果たして、議事堂に缶詰めにされる哀れな身からは解放されてるが、今日はこの後このテル・ウヴィリスで師匠と食事をする予定だ。ミストレス・アルマのただの弟子だった俺はその恋人に昇格したこともあって、こんな風にここに顔を出してももう誰も驚くことはない。
頼んでた本が届いたとかで師匠はエボンハートまで自分で取りに行ったらしいが、そんなことこそ弟子にやらせておけよと思う俺はおかしいだろうか。他人にものを頼むのが苦手なところもまた可愛いんだが、何も知らない奴が師匠を見ても、まさかテルヴァンニの評議員の一人だなんて夢にも思わないだろう。
「――エディ君!」
そんなことを考えていた俺は、後ろから聞こえたその声にはっと引き戻された。
「ごめんなさい、待たせてしまったみたいで」
「師匠、待ちくたびれちまったぜ。まあ早く来たのは俺なんだけどな」
こっちに向かって歩いてくる師匠に腕を伸ばし、抱きしめる。懐かしい恋人の匂いがする……甘くて優しいミストレス・アルマの匂いが。
「あんな遠くまであんたが行くことないだろ。俺か弟子にでも言いつければいい」
「お願いするほどのことじゃありませんから。それに……ええと、個人的な本もいくつか取り寄せてもらったもので」
「個人的?」
「まあ、その、いろいろです」
師匠にしては珍しく歯切れの悪い物言いだったのは気になったが、久々に恋人と再会した男としては悠長に構えてる余裕はない。もう飯より先に愛し合いたい――このままベッドに連れ去りたい。
「なあ……まだ飯までには時間があるなら、一度……」
「エ、エディ君!?」
「いいだろ? 頼む」
「ん……!」
そしてそのまま俺は愛しいミストレス・アルマの唇を奪った。すかさず舌を相手のそれに絡め、両手でぎゅっと抱きしめる。
師匠にはこの手の経験が全くなく、何もかも俺が初めての相手だ。多少のぎこちなさは残っていても、いつも俺が教えた通りに返してくれる。それはこんなキスでも、ベッドでのあれやこれでも、それこそ文字通り何もかもを。魔術では俺の方が弟子でも、こっちの方なら俺が教える側だ。ミストレス・アルマは実に優秀な生徒で、時々俺の方が先に参っちまいそうになる。
……なのに、今日は。
「!」
俺の首に細い腕を回し、師匠がもう一度深く口づける。だがそこからが今までとまるで違った。もっと艶めかしく、扇情的で、淫らな欲望をかき立てるように恋人の甘い舌先が動く。
俺はこんなことは教えなかった。むしろこんな技なんて知らなかった。一体誰が仕込んだんだ? どこの誰が、俺のミストレス・アルマに。
「――っ!」
俺は思わず師匠の肩を引き離して、濡れた唇を乱暴に手で拭う。ミストレス・アルマは驚いた表情で目を瞬きながら、何が起こったのかわからないとばかりに俺を見つめた。
「エディ君……わ、私、何か」
「――したのか?」
「えっ?」
「浮気したのか!? あんた……!」
大声で怒鳴りたくなんてないのに、声が荒くなるのを抑えきれない。師匠は俺だけを愛してると、何の疑問も持たずにずっとそう思い込んでいた。俺の想いを受け入れてくれた時、ミストレス・アルマも俺のことを好きだと言ってくれた時から、師匠は俺一人だけのものなんだと。
だがもしそれが幻想だとしたら。俺以外の男が師匠に触れて、この甘い声で名を呼ばれていたら。俺の知らないところで、他の誰かがミストレス・アルマを自由にしていたら。
「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは突然何を言い出し――」
「じゃあ何でいきなりこんなキスするんだ!? 言えよ、一体どこの誰と、あんたは……っ」
悔しさのあまり唇を噛みしめる。師匠に慌てた様子もないのがますます俺を苛立たせるが、それでもミストレス・アルマのことが心底愛おしくてたまらない。憎もうとしたって憎みきれない、そんなことは最初からわかってる。どんなに振り回されたって、側にいられるのならそれで構わない。
俺のところに戻ってきてくれ――男として一番言いたくないそんな言葉でさえ、師匠のためなら口に出せる。例え裏切られても、愛してるんだ。別れるなんて考えられない。ミストレス・アルマと離れて生きていくなんて俺にはもう無理だ。
「エディ君、落ち着いてください。私はあなた以外の誰ともこんなことはしていませんよ」
「そんな見え透いた嘘つくなよ。俺が気づかないとでも思ったのか?」
「いいえ。でももし私がいつもと違ったなら……わかってくれたら嬉しいなとは思っていたかもしれません」
「……どういうことだ?」
そこでミストレス・アルマは困ったように微笑むと、戻ってきた時に持っていた包みから本を一冊取り出した。おずおずと差し出されたそれを開いた俺は、予想外の中身に目を丸くする。
「『シロディール流、あなたの恋人を喜ばせる方法』……?」
「も、もういいでしょう。返してくださ――あ!」
「じゃあ何だ、師匠あんた……これを読んで実践してみたって、そういうことか?」
師匠が取り戻そうとする腕を避けるように頭上に掲げた本をぱらぱらとめくってみれば、確かに今しがた実演してもらった小技が詳細にしたためてある。笑えるくらい一言一句完璧に再現してあったことから考えるに、誰か別の男が教えたわけではないのは事実らしい。ミストレス・アルマは基本に忠実で、よほど精通していない限り変なアレンジは加えないタイプだ。
「……私は経験がないでしょう。だからエディ君は、その……私が相手だと、楽しくないんじゃないかと……思って……」
だんだんと小さくなる声、赤く染まる頬。恥ずかしさに居たたまれなくなったのか、突然踵を返して逃げ出そうとする師匠を間一髪で捕らえると、俺はミストレス・アルマの背中側から腕を回してもう一度その身体を抱きしめる。
「悪かった、疑って。あんたは俺のことを想ってしてくれたのに」
「…………」
「ちょっとびっくりしちまって……あまりにその、良かったんで、俺はつい。本当に悪かった。許してくれ」
師匠は黙ったまま俺の謝罪を聞いていたが、決して振り向こうとはしなかった。少しでも腕の力を緩めれば、そのまま二度と手の届かないところへ飛んで行っちまいそうだ。やっと想いが通じたのに、ミストレス・アルマの心が手に入ったのに、俺はどうして早とちりした挙句こんなバカなことをしでかしてるんだ?
「……そんなに、良かったですか?」
「あ? あ、ああ。でなけりゃこんなに疑ったりしない」
「そうですか……」
弱気な俺とは対照的に、そこまで言うと師匠は腕の中でクスクスと小さく笑い出す。
「ミストレス・アルマ?」
「そんなに妬けるほど良かったなら、今回だけは特別に許してあげます」
「……!」
ようやくこっちを見てくれた師匠の顔は、いつもと同じ優しい笑顔だった。俺は安堵のあまりがっくりと肩を落とすと、ため息をつきながら頭を抱える。
「あーっ……くそ、あんたに嫌われちまったと思ったぜ……」
「それはこっちの台詞ですよ。会うなりいきなり浮気を疑われるなんて」
「だからそれは……悪かった。でも俺はあんたと付き合って物足りないなんて思ったことは一度もないぜ」
「!」
ミストレス・アルマは驚いたように目を丸くして、不思議そうに少し首を傾げた。
「例えあんたが百戦錬磨でも、初心な生娘でも、何でも構わないんだ。俺が惚れたのはミストレス・アルマ、そのままのあんたなんだよ。だから――」
知りたいことがあるなら教えてやると言いたいところを堪え、無理にいろいろ覚えようとしなくてもいいと俺がそう告げると。
「でも……いつも私ばかり気持ちいいのは、やっぱり不公へ」
「今何て言った」
「え」
ぼそりと呟かれたその言葉。あまりにも甘美な響きのするそれに、俺はもう欲望を抑えきれない。
「師匠、何て言った。もう一度」
「や……」
「もう一度言ってくれ。いつもあんたばっかり、何だって?」
「も……もう、エディ君!」
単純な力勝負じゃミストレス・アルマが俺に勝てるわけがない。俺はまたしても逃げ出そうとする師匠を捕まえて肩に担ぎ上げると、じたばたともがく相手の抵抗を尻目に意気揚々とベッドに向かう。意外に頑固な恋人がこれでもまだ口を割らないつもりなら、白状する気になるまで愛を込めた尋問をさせてもらうとしよう。
