本当は誰も私なんて望んでいない。テルヴァンニのアークマジスターとして、そもそもその高位のウィザードの一人として、ダンマーではない者を受け入れる気風なんてここには存在しない。私がその肩書きを名乗っているのはただ、マスター・ウィザード同士の危うい均衡を保つための生贄だからに過ぎないのだ。
この地位を自ら辞することも、誰かに譲ることも認められない。マスターのうちの誰かが満を持して私の命を奪いにやって来るまで、私はテルヴァンニ家という組織を繋ぎ止めるための命ある楔でいなければならない。確実にこの大家の全てを掌握できる人物が現れるまで、私は個人としての意見を口にすることさえも許されず、その日が来たら黙って命と地位を明け渡すだけの存在だ。
もちろんそんな扱いに反発して、反逆を企ててみたこともあった。けれど狡猾な魔術師たちが蜘蛛の巣のように張り巡らせた幾多の罠は、私自身ではなく代わりに周りの人たちを傷つけるように仕向けられていた。苦難の中で私を手助けしてくれた何人もの人たちの命を、残酷な魔術の鎌は呆気ないほどあっさりと刈り取ってしまう。
私が本当にテルヴァンニのアークマジスターたりえる人物だったならば、そんなことは歯牙にもかけず自分の望みを優先するだろう。強大なウィザードにとってあらゆる物事は利用するための道具にしか過ぎず、したがって心を痛めることもない。
けれど、私は……。
「――はい?」
控え目に戸が叩かれる音を耳にして、私は微かな驚きと共に振り返った。私が建てた私の塔は、今や私自身を閉じ込めるための監獄だ。私の配下にない兵たちが部屋の周りを固める中で、扉を叩いて会いに来るような人物に心当たりはない。
「邪魔するぜ、ミストレス・アルマ」
「……!」
そう言って姿を見せたのはかつて私が弟子と呼んでいた一人の優秀な魔術師だった。いつしか心を通わせ、お互いを恋人と呼ぶような関係となり、眩いばかりの幸福な日々を私に与えてくれた相手。
久しぶりに見たエド・ゼーマンは……懐かしい弟子のエディ君は、私の記憶の中よりも少し歳を取り、影の落ちた顔はやつれて見えた。
「エディ……君……」
「ああ、そうだ」
「どうしてここに――」
「俺と一緒に逃げてくれ」
突然の再会の理由を質す間も置かずに、彼はただ一言はっきりとそう告げた。
「な……に、を」
「こんなあんたはもうこれ以上見てられない。何もかも捨てて、俺と一緒に来てくれ」
かつて私を抱きしめてくれた右腕をこちらへ伸ばしながら、エディ君は赤い目で私を捉え、瞬き一つせずにそう続ける。その瞬間、私の頭の中を駆け巡ったのは昔の幸せな思い出だった。二人で笑い合った時の、お互いに背中を預けて敵と戦った時の、忙しなくも喜びに満ちあふれていたあの頃の私たち。
この腕の中に飛び込めたら。あなたと一緒に行きたいと、もし今そう伝えることができたら。彼が私を愛していると言って、私もまたあなたを愛しているとそう答えた、あの日からもうどのくらいの時間が過ぎ去ってしまったのだろうか――次に私が思い出すのは捕らえられて彼の名前を何度も叫ぶ私と、血まみれで地に倒れ伏したまま動かないエディ君の姿だというのに。
「そんなことは無理だって、あなたにもよくわかっているでしょう? すぐに見つかって連れ戻されて……今度こそ二人とも殺されてしまうに決まっています。あるいはもっと酷い結末を迎えることになるかもかもしれません」
私が傀儡の椅子に縛りつけられた時、彼は最後まで私を守ろうとただ一人戦ってくれた。けれど全てのマスター・ウィザードたちを敵に回して勝ち目があるわけもない。力及ばずエディ君がその命を落としかけたことで、私は完全に抵抗を諦めた。その代わりに彼の命を助けることを、私は生涯の囚われ人となるための条件としてテルヴァンニ家に突きつけたのだ。
その時以来、エディ君がどこで何をしているのか私が知る手立てはなかった。私は外部から閉ざされた塔の中でただ毎日命を繋ぐだけの生きた屍に過ぎず、何の縁も持たない私を助けてくれる人物なんてもちろん現れもしない。かつては師と仰いだマスター・アリョンでさえ、私を捕らえ閉じ込める時には先頭に立っていたほどだったのだから。
「本当にわかっているんですか? 今度こそあなたは……死んでしまうかもしれないんですよ」
今はまだどのマスターもアークマジスターの座を奪う準備ができていない。となれば私はまだ生かされて連れ戻されるだけで済むかもしれないけれど、彼は。既にテルヴァンニ家から破門され、誰とも知れない一介の魔術師になってしまったエディ君が、五大家最高位の者の一人であるアークマジスターを拐かしたと世に知れたなら、もはや生かしておく理由など一つもない。
「俺は、それでも構わない」
けれど、彼は全く表情を変えないままにそう答えた。そんなことはとうの昔に知っていると、それでもその意志は変わらないと言うように。
「どうせ捕まって殺されるなら、俺は最後にあんたを自由にしてやりたい。それが例えほんの一瞬であっても、俺は……」
仄暗いエディ君の赤い目に、その時一瞬苦悶の影がちらつく。それに気づいた時にはもう私は彼に強く抱きしめられていて、例え逃れようとしたところでそれが叶うことなんてなかっただろう。
「師匠、俺は今でもまだあんたを愛してる。あんたがこの世の何より大切なんだ――俺自身の命よりも」
「エ……ディ、く……」
「もう俺を愛してなくたって構わない。だがあんたもテルヴァンニの魔術師なら、俺を利用してここから逃げろ。そのままモロウィンドを離れて幸せに暮らせ」
「そん、な」
彼がいてくれるからこそ耐えられた。長年に渡って牢獄の囚人以下にも等しい扱いをされていても、それでエディ君の命を守れるのなら。私さえこうしてここにいれば、もう二度と彼が傷つくこともないと、ずっとそう信じてきたからこそ今まで何とか生きていられたのに。
「だ……め……」
「!」
「だって……私はあなたが……あなたが、エディ君が大切なんです」
「ミストレス・アルマ」
「あなたが無事でいてくれるなら、私は誰に何をされたって構わない。でもあなたがいなくなってしまったら……私はもう、生きてはいけません。あなたを愛しているんです! 私だって今もずっと、あなたのことを……っ」
涙で声が詰まった瞬間に、あの頃と同じ口づけが私の唇を優しくふさぐ。何度も何度も夢に見て、目が覚めては人知れず涙を流したキスが、今もう一度私の上に舞い降りる。
「――なら最後までずっと一緒にいよう。もうあんたと引き離されるのは御免だ」
エディ君は静かな、それでいてどこか幸せそうな声でそう言った。それが何を意味しているのか、わからないような私たちではない。
「あなたは……本当にそれでいいんですか……?」
「惚れ込んだ女と一緒に死ねるんだ、それより他に望むことなんてあるのか?」
今ならまだきっと間に合う。警護という名の監視から連絡が来ないことを怪しまれる前に、せめて彼だけでも逃がすことができれば。私のことは忘れてくれと、どこか遠くで幸せになってくれと言うことができれば。
――でもきっとエディ君は私を連れずにここから出て行く気などないのだろう。彼は既に全てを捨てているのだ。あの日、私がエディ君のために命乞いをしてテルヴァンニ家に戻った時から、彼は何もかもを手離して今日という日をずっと待っていたのだろうから。
「さあ、行こうぜ。久しぶりの逢い引きはできるだけ長く二人きりでいたいからな」
私は、愛する人を死に追いやる。彼の望みに応えることが、すなわち私たち二人の死を導く。けれど――けれど、それでも。もう誰にも私たちの邪魔はさせない。
「はい。行きましょう」
私は愛する人の差し出した手を取って、この牢獄の塔から出て行った。
