Captured

 奇妙なほど真剣な顔をしたアルマがアルヴス・ドレレンを訪れ、私に向かって愛しているなどと世迷い言を口にした時、私はその告白を一蹴し、くだらぬ戯言など聞かせるなと答えた。

 その時の私はあの娘のことを見誤っていたのだろう。泣くなり喚くなりと反応はしても、これ以上の長居は無用と理解してすぐにでも立ち去るものとばかり考えていた。私はそうするように仕向けた。だがあの娘はその仮説通りには動かなかった。

 アルマはその両目いっぱいに零れ落ちんばかりの涙を浮かべこそすれ、一言も口を利かぬまま、ただその場に佇んで私をじっと見つめていた。底知れぬ悲しみに満ちた瞳の、その奥に虚無としか表現しようのない陰りを見た私は、あの娘に殺されることを覚悟し、そしてアルマはその予想通り私に腕を伸ばした。

 何らかの魔術的な衝撃を受けたことはわかったが、痛みは不思議と感じなかった。だが意識は一瞬で何処かへと散り、私はその場で気を失ったと思われる。

 次に私が我を取り戻した時、目に映った景色は我がヴェロシの塔のものではなかった。確実にテルヴァンニのものだとわかる、それでいて陽の光も差さず狭く柵に囲まれた場所ともなれば、己がアルマの塔の牢獄かそれに準じた場所にいることくらいはすぐに見当がついた。

 そしてまるで私が目を覚ましたのを見計らってでもいたかのように、遠くから微かに衣擦れの音が老いたる我が耳に届いた。かくも静かな場所ならば、その音を聞き取ることくらいは容易にできる。

 揺らめく蝋燭の灯りが徐々に近づき、その持ち手の姿が闇の中に浮かび上がると、私をこの場に連れて来た娘はいかなる感情も宿さぬまなざしで私を見た。

「気がつかれましたか。お身体の具合はいかがですか?」
「お前は……なぜ、こんなことを」

 投げかけられた問いには返事をせず、ただ絞り出すようにそう言った私に、アルマの瞳を覆う虚無の陰がまた一回り大きさを増す。

「……どうしても、私を好きになっていただくことはできませんか」

 それは冷たい宣告のような声にも、慟哭めいた懺悔のようなそれにも聞こえた。哀しげではあるが虚ろな、細く青白い娘の面を蝋燭の炎が照らし出す。よくできた彫刻のようなそれに、私は我知らず息を呑んだ。

「こんな扱いをしておきながら、よくもそんなたわ事が吐けるものだ。寝言なら寝台の上で言え。私はお前を満足させる答えなど持たん」

 娘の唇がほんの僅かきつく結ばれ、落とされた睫毛の影が一層その暗さを増す。そしてしばしの沈黙を経た後、アルマは再びその虚無に満ちた瞳で私を見据えた。

「……っ!」

 その瞬間に自由を失う我が身体。敵対的な魔術に多少の防護を施してあるとは言え、それすらも容易く凌駕してくる圧倒的な威力の麻痺術。それをまなざし一つで私にかけた娘は、その手で触れることすらなく鍵のかかった檻の柵を開き、指一本動かせぬ私の前まで来ると顔を上げた。

 若く美しいブレトンの娘。稀有な才能に恵まれた、特異と言って差し支えないだろう稀代の魔術師。そんな娘がなぜ私にこうも執着するのか、思い当たる理由など一つもない。

「バラダスさん……」

 伸ばされた手が私の頬に触れ、動かぬ我が背を汗が一筋伝う。今度こそ我が予想は違わぬだろう。アルマは、この娘は、このまま私を――。

「……!」

 かくして予期したものは真実となった。アルマはやおらその目を閉じ、私に唇を重ねたからだ。

「私は……それでもあなたを愛しています。あなたが私を受け入れてくれるまで、私はいつまでも待ちます」

 再び牢を出て行く直前、あの娘は囁くようにそう言った。虚無に満ちた瞳から、その頬に一粒の涙が零れていた。

 我が長き生をしてもどれほど深いか想像すらつかぬあの虚無は、娘の自己防衛本能に拠るものであろうことは疑いがない。その行動の全てから察するに、あの娘はあまりにも深く私を愛した。その想いを無碍に拒絶されるということに、あの娘の精神が耐えられはしなかったのだ。

 私はまさしくそれを望んでいた。アルマが壊れてしまったことを心の底から喜んでいた。あの娘の心が砕け散り、もはや愛などとは呼べぬであろう怨嗟だけが灰の中に残ろうとも、それでもなお私を求めずにはいられぬことに歓喜していた――なぜなら私もまたアルマのことをこよなく深く愛していたからだ。

 あの娘の想いを受け入れ、共に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、あの娘の心が私から離れていくやもしれぬことが私には耐え難かった。アルマほどの娘であれば、私を生涯の伴侶として選ぶ必要はない。一時の気の迷いこそあれ、いずれは我が元から何処の男の元へと羽ばたいていってしまうだろう。

 私はそれが許せなかった。アルマを私だけのものにしてしまいたかった。我が身を牢に捕らえさせることで、私はあの娘の心に枷を嵌めた。アルマが私の自由を奪ったように、私もまたあの娘を檻の中に捕らえたのだ。

 もはやアルマはどこへ行くこともできまい。私がこの首を縦に振らぬ限り、あの娘にかかった呪縛は解けず、その目が再び生気で満ちることもない。悲嘆に暮れた声が我が名を紡ぎ、一欠片の慈悲を求めるように温かい肌を添わせられようとも、私は己が心を殺し、アルマの願いを聞き届けることはない。

 そう、今も……。

「バラダスさん」

 一方的な接吻を終えた娘の唇と我がそれの間を銀の糸が結ぶ。絶望すら枯れ果てたかの如く乾いた声で私を呼ぶその娘の、嘆きとも恨みともつかぬまなざしに私の心は打ち震える。

「そんなに私がお嫌いですか。こんなに時間が経った今でも、背を抱いてくださることすらしたくないほど」

 温和で聡明だった娘の魂を蝕む、虚無から生み出されたどこまでも深い闇。我が身を引き裂いても構わぬほどに愛しい、ただ一人愛したブレトン娘。私の仕打ちが許される日が来ようとは夢にも思わない。だがこの娘を手放さねばならぬくらいなら、この場で二人朽ちていく方が私には遥かに本望なのだ。

 いずれそう遠からぬ時に、アルマは私を殺すであろう。そして私の死を以って、この永遠に解けぬ呪いは完成する。我が命がここで尽きようとも、アルマの命がある限り、私の影は虚無となってこの娘の中に生き続ける。

 決してこの娘を離しはしない。離すことなど考えられない。この娘はそれほどまでに私を惹きつけた。もはや引き返す道さえも途絶えて久しいほどに。

「……あなたは酷い人ですね。でも……それでも私は、私は……あなたのことを、ずっと……」

 我が背に腕を回す娘の身体は震え、色も温度もない涙が冷たい床に音もなく滴る。決して返らぬ反応を求め、またそれを諦めてでもいるかのように。

「また明日伺います。今度こそどうか良いお返事を聞かせてください」

 儀式の文言でも口にしているように変わらぬ言葉を告げたあの娘は、常にそうであるように控えめな衣擦れの音をさせながらその場を去った。

 独り残された牢の中、私は未だ濡れたままの己が唇に改めて手を触れ、あの娘の接吻の甘さと柔らかさを丹念に反芻する。もしその口づけに舌を絡めて応え、力強く背をかき抱くことができたなら。気が狂わんばかりにお前を愛していると、本心を告げることが叶うなら。例えこの無機質な床の上だろうと、互いの身を交えその温もりに耽溺することが許されるなら。

 だが私はその全ての可能性を捨てた。代わりにあの娘の心をのみ手に入れることを、私は自ら選んだのだ。

「……アルマ……」

 もはや声さえまともには出せぬ。今更真実を伝えようとしたところで、その術さえ私に残りはしないだろう。破滅的なほどの愛情を抑え込み殺し続けることができる限り、あの娘は私の元を訪れ、あらゆる手を使い懐柔しようと試みる。あの娘の愛を拒み続ける限り、アルマは私を求め続ける。

 何とも滑稽ではないか。想い想われる仲だと言うのに、あの娘と私の愛が成就することなど決してないのだから。だが、それでも。

「私は――私は、お前を」

 愛している。己が身を滅ぼしても後悔などせぬほどに深く、あの娘を。