今この時、私の目前で驚いた顔を見せているブレトンの娘。突然腕を取られ、無言のまま床に押し倒されれば誰しもそんな表情で相手を見上げるだろう。だがその目はなぜ私がこんな蛮行に及んだのかを恐らく理解できていない。もし少しでも頭をよぎっていたならば、私を映すその瞳には恐怖や嫌悪が色濃く滲んでいるはずだからだ。
アルマというこの娘と私の関わりはさして深いというわけではないが、かといってそう浅いものでもない。自らの居場所を私と同じくテルヴァンニに定めた者として、この娘が使い走りにアルヴス・ドレレンを訪れる機会は少なくなかった。時には私自身が細々とした用をこの娘に任せることもあり、その結果はいつも私を満足させるものだったことは言うまでもない。
例えこの娘がアリョンの若造の元に籍を置いている立場だとしても、刺客以外の者を見る機会などほぼないと言っていいこの塔の中で、何度も顔を合わせていれば多少の情が湧くこともあろう。私とて初めこそ集中を乱す闖入者を粗雑に扱うこともあったが、礼を失さず辛抱強く言いつけ通りの仕事をこなしていくアルマを目にしているうち、どうにも奇妙な感情が己の中に生まれたことには気づいていた。
この娘が一通りの用を済ませ何処かへ帰ろうとしている時、その背をこの場に引き留めたいと一体何度思ったことか。向かい合って食事をしている時、その唇はどれほど柔らかいのかと何度思い描いたことか。この娘を我が元へと留め、手に入れたいと幾度夢見たことか……。
それはもはや単なる興味や関心を超え、私が知る必要のなかった感情へといつの間にか変わっていた。老いた身を再び震わせる、あの娘が欲しいという強い欲情。それでいてこの手で慈しみ心ゆくまで愛でてみたいという恋情。そのどちらも叶わぬものだとわかっているのに、アルマを求めずにはいられない。
――そんな私は今日ついにその衝動の赴くまま、何も言わずにこの娘を押し倒した。出会った頃よりもだいぶ力をつけたアルマが私を凌駕するのは時間の問題だ。マスター・ウィザードの地位にある私でさえ、いずれ力ではこの娘に敵わなくなる。いかなる手段を用いても想いを遂げたいと望むのならばこれ以上は待てない。
「バラ……ダ……ス……さ、ん……?」
私の名を呼ぶ囁きには困惑の響きが宿っているが、これから自分が何をされようかというところまでは思い至っていないらしい。初心であるのか、愚かなのか。だがそのどちらであろうとも私がこれからする行為に変わりはない。
「あ……っ!?」
片手で身体を押さえつけながらその身を隠す衣服を脱がそうとすると、そこで初めてアルマが拒むような声を上げる。
「待ってください! 私、私は」
「そんなつもりはなかったなどとよもや今更嘯くまいな。うら若い女が男の元へのこのこと何度も通っていれば、いずれこうなるとは思わなんだか? 私も侮られたものだ」
「!」
こんなことを聞くまでもなく、この娘は私を男としてすら認識してはいなかったはずだ。私は年老いた魔術師で、東のマスター連中のように地位や名誉に貪欲なわけでもない。辺鄙なところに隠居した、気難しいが無害な老人とでも考えていただろうか。
しかし私もタムリエルに名の通ったテルヴァンニの魔術師として、ひとたび欲しいと思ったものからこの手を離せるかと問われれば、そんなことは天地が逆になろうともあり得ぬとだけ答えるだろう。
「……観念したか」
弱々しく形ばかりの抵抗を見せていたブレトンの娘の手が止まり、伏せた睫毛を微かに震わせつつ私からふいと顔を背ける。無理に蹂躙しようとしているのだからそんな反応は当たり前なのだが、私は口ではそう言いながらも一抹の寂しさを感じていた。
もしこの娘が自ら望んで私に抱かれることがあったなら、こんな冷たい床の上で事に及ぼうなどとは決して思わぬだろう。その肌の温もりを余すところなく享受できる寝台の上で、それこそ時間も忘れて互いの身を味わい尽くすに違いない。濡れた唇は口づけるたびに何度も私の名を奏で、その腕はもっととせがむように私の背中を強く引き寄せる。
だが所詮そんな夢は叶わぬのなら、私は現実を手に入れたい。アルマと、この娘と契ったのだという、感情を廃した結果だけを。しかし……。
「なぜお前は死ぬ気で抗わんのだ。このままでは私に手篭めにされてしまうのだぞ」
ほぼ裸体を晒していると言っても過言ではないほどに服を乱され、それでもただ黙ってじっと身を捧げているこのブレトン娘に、私は憤りを覚え思わず尋ねた。馬鹿なことだとわかってはいたが、この娘が何を考えているのかまるで理解できなかったのだ。
自身の意思とは関係なく犯されるなど無論嫌でたまらなかろう。そんなことが起こると想像したことさえなかった、おぞましくあり得ない出来事。そんな状況にあって、なぜこの娘はこんなにも大人しくされるがままでいられるのだろうか。
少しでも逆らえば殺される、そう身構えているならば心の底から恐怖しているだろう。好機を伺い反撃するつもりでも、今のままではあまりにも無防備だ。あるいはこの娘にとって貞操などさしたる価値も持たないものなのだろうか。これまで私が見てきたこの娘は、かくも容易に男に己が身を差し出す娘だったのだろうか?
だが私が本当に問いたいのはそんなことではない。この娘が抗わず拒まぬなら、このまま私を受け入れるつもりなら、それはまるで、この娘も私のことを――。
「……嫌でしたら、抵抗しています」
その時、閉じていた目を開きゆっくりと私へ向き直ったアルマは、頬を赤く染めたままそう言った。
「初めは驚きましたが……相手があなたでなかったら全力で抗っています。触れてほしいと思う人にしか、私はこんなことを許したりしません」
「な……!」
柄にもなく自分の顔が赤くなっていくのがわかる。苦し紛れに何か言いたくとも、意味のある言葉など一つも出てこない。
「バラダスさんは、あなたは私のことをそんな風には見ていなかったでしょうけれど……私はずっとあなたが好きでした。私であなたを慰められるのなら、どうぞお好きなようにしてください」
今自分が何を聞いたのか理解できない。この娘は、アルマは、何と言ったのだ? 私は――アルマは、つまり。
「一体何を言い出すかと思えば……何という戯言を、若い娘が」
絞り出すように口にした自分の声は明らかに狼狽していた。望み続けた言葉がもたらされた経緯はあまりにも予想外で、私はその告白を正面から受け止めることなどとてもできはしなかったのだ。
「戯言なんかじゃありません! 私は本当に、あなたのことを」
「やめんか!」
私はとっさに己が唇を用い、アルマの唇をふさいでいた。口づけた瞬間にあふれ出す、押し殺し続けていたこの娘への慕情。こんな風に唇を重ねる時を、どれほど待ち望んでいただろうか。知らずのうちに互いの舌を絡め、角度を変えて幾度も口づけを繰り返す。どちらのものともわからぬ唾液が唇の端から垂れ落ちていくが、そんなことを気にかけている余裕などない。
この娘を、アルマを、愛している。もう二度と離すつもりはない。例えこの娘の想いが私のものとは違っていたとしても、決してこの手を離したりするものか。
「……っ」
さりとてようやく唇が離れると、途端に羞恥心が襲ってくる。年甲斐もなくこんな行為に駆り立てられてしまったことが急に耐え難い愚かなことのように思われ、アルマをまともに見ることができない。しかしちらりと視線を落としてみれば娘の側も顔を手で覆っていて、どうやら似たようなことを考えているのであろうとは想像がついた。
もしここでアルマが自らの過ちに気づき、嫌悪を露わにすることがあったなら、私は当初の予定通りこの場でその身体を我がものとしただろう。しかしこの娘はしばし羞恥に耐えた後で再び私を見つめると、その身を微かに震わせながら小さな声でこう囁いたのだ。
「あの……つ、続き……は……しません、か?」
「っ!」
何ということをこの娘はのたまうのか。せっかく落ち着きを取り戻しかけていた情欲はその枷を失い、目の前の娘を求めるあまりに脆くも理性が崩れていく。私は自らの限界を悟り、乱れた服のままのアルマを抱き上げた。小さな悲鳴を上げた娘の腕がさっと私の身体に回り、すがるように華奢な身を寄せられる感覚の何と甘美なことか。我が身をめぐる欲望に限りはなく、熱が覚める気配は微塵も見えない。
「バ、バラダスさん!?」
「少し黙っておれ。場所を変える」
そして愛しい娘を寝台の上に横たえると、私は今度こそその身体を露わにした。薄く染まった柔らかい頬に触れ、唇に一つ軽い口づけを落とす。
「愚かな娘よ。何も好き好んで私のような相手を選ばずともよかろうに」
「恋というものは相手を選んでするものではありませんよ、バラダスさん」
「……生意気な小娘め。その言葉、後悔するなよ」
これから私が為す行為によって得られるものは初めから変わらない。だがそこには私が願っていた、決して手に入らぬと諦めていたものが確かに添えられている。それが果たして誠の愛と呼ぶに相応しいものなのかどうかは、これから先の日々で少しずつ確かめていくこととしよう。
