「誰だ! ――と、お前か」
「こんばんは、デルムスさん」
灯台の火の番を任されていたその日、夜も更けたところで塔の上にアルマが足音を忍ばせ姿を見せた。
「お仕事お疲れさまです。兵舎の方からあなたがこちらにいらっしゃると聞いたので」
俺は腰に下げた剣にかけていた手を下ろすと、予期せぬ闖入者を苦々しく眺める。
「ここには来ない方がいいと思わなかったのか? 前回お前がここに来た後、サルヴィ総督から俺が何を言われたかは手紙に書いたよな」
かの厳格な女総督が夜勤明けで爆睡中の俺を顔色一つ変えず叩き起こし、衛兵としての規律を乱してくれるなと説教をくれたことはまだ記憶に新しい。それもこれもこの話題に乏しいのどかで寂れた小さい町で、一大捕物を繰り広げた英雄的なブレトン女を相手に、一般的な友人以上の親しい関係を持っているとなれば仕方ないことなのかもしれないが。
「ええ……あの、それについては本当に申し訳ないと思っています。だから今日はすぐ宿に帰りますが、ただ……ついさっきセイダ・ニーンに着いたものですから、一目だけでもあなたの顔が見られたらと」
困ったように眉を寄せながらそう言ったアルマはさっと顔を伏せると、食欲をそそる匂いを振りまく包みとポットを押し付けるようにして渡してきた。
「安心してください、お酒ではありませんから。料理は作ったばかりのものなので、よかったら温かいうちにどうぞ。それじゃ――」
「待て」
まくしたてるようにそう言うなり踵を返して階段を降りて行こうとするアルマの腕を素早く掴み、俺は今さっきまで自分が座っていた粗末な椅子を顎先で示す。
「せっかく来たんだ。少し話すくらいはいいだろう」
「でも……」
「それともお前が本当に帰りたいなら引き留めないが」
「……っ!」
この手で掴んだままのアルマの腕がほんの僅か震えだし、見る間にその白い頬が赤く染まっていく様は見飽きない。そして何度も視線をさまよわせた後でもう一度俺を見つめたアルマは、弾ける炎の音にさえかき消されそうなほど小さな声で言った。
「もしここにいてもいいなら……もう少しだけ、一緒にいたいです」
一瞬、理性が揺らぐ。前回ここでこうして会っている時についやらかしてしまったあれこれを、隣で燃えている灯りは本土から来る船の上にまで届けてしまった。この狭くて辺鄙な場所なら二人きりで会うこともできるとは言え、町中にいる酔っ払いからも目に毒だと苦情が来たと総督が言っていたから、アルマの背中を引き寄せてキスをしたいなら明日の朝まで待つべきだ。サルヴィ総督が灯台は逢い引きのための場所ではないと淡々と言ったのも覚えている。
だがそんなことは百も承知していても、どうにもならないのがこの不可思議な感情というやつだろう。俺は腕を掴んでいた手を離すとそのままアルマの頬にかかった髪をかき上げ、目を閉じて唇を重ねる。心を惹かれた女の甘い匂いが鼻先を掠めていく――身体を熱くさせて止まないそれが。
「デ、デルムスさん」
「何だ」
「いけません……これ以上は、またあなたがサルヴィさんや隊長から怒られて」
「それがどうした」
「どうしたって、っ!」
返事も聞かずにもう一度口づけた俺は、今度は舌でアルマの口内をまさぐる。くぐもった反論さえも飲み込んでしまうようにキスをすると、最初は形ばかりの抵抗を見せていた細腕も力を失い、いつしか俺の背に回されたそれはすがるようにしがみついてきた。そんな可愛い様を見せられれば手を引く余裕などあるはずもなく、貪るような口づけは離れてはまた深まっていくばかりだ。
自分がよそ者のブレトン女とこんな関係になる日が来るなんて考えたこともなかったが、今となってはアルマ以外のどんな女のことも考えられない。アルマがまだ副総督だったサルヴィ女史に頼まれてここに登ってきたあの日から、俺はこの不思議なブレトンの女魔術師に囚われ続けている。その瞳が俺を見つめるたびに、以前よりも一層強く、何度でも。
「デ……ルムス、さ……」
呼吸を乱した濡れた唇が俺の名前を囁くように紡ぐ。思わずごくりと喉が鳴るが、もう潮時なのもわかっていた。今度こそ業を煮やした誰かがここに怒鳴り込んでこないとも限らない。サルヴィ総督あたりは今でも俺がどういう手管でかアルマを誑かしたと思い込んでいそうだしな。
「……今夜はもう帰れ。懲罰房行きにはなるのはさすがにごめんだ」
アルマは少し寂しげな目をしたが、すぐに頷くと小さく微笑んだ。
「わかりました。デルムスさんもお仕事がんばってくださいね」
そしてその柔らかい唇で俺の頬を掠めるように触れると、来た時と同じように静かに塔を降りていく。このままアルマを追いかけて宿屋になだれこみ、一晩中この滾った想いを余すところなくぶつけてやりたい。だがそれもあとほんの数時間の辛抱だ。交代の衛兵が登ってきたら、俺は脇目も振らずに宿まで走って行ってやる。
そのどうしようもなく長い夜明けまでの時間を何とか潰すために、俺はまた椅子に腰かけると、平穏そのものの海を眺めながらアルマの持ってきた料理を口に運んだ。
