First Kiss

 私が弟子になってからというもの、アリョンさんは忙しくしている合間を縫ってよく面倒を見てくれていたと思う。ダンマーでもなく素性もはっきりしないアウトランダーの私を、数合わせとは言え引き込みたいほど追い詰められていたというのも事実なのだろうけれど、理由はどうあれ魔術を教えてくれることはありがたかったし、そんなことをしてくれるマスターもアリョンさん以外にはいなかった。

 アリョンさんがアークマジスターの座に就きたがっているのは周知のことで、そのために私をあちこちに派遣して味方を増やしていたのも知っている。私はただの便利な駒で、それ以上でもそれ以下でもない。マスターの優しさは道具を便利だと思うことと同じなのだから、そんなものにいちいち喜んだりしてはいけないこともわかっていた。

 例え私がアリョンさんに他の誰とも違う想いを抱いていても、それが報われる日なんて永遠に来ない――そう思っていたのに。

「アルマ、君のことが好きなんだ。私は君と特別な関係になりたい」

 あの日、アリョンさんが私にそう言った時、私は喜ぶよりもむしろ悲しくなった。そんな嘘なんてつかなくても、私はマスターのために働くのに。本当の意味で私を愛してはくれないなら、せめて良く出来た弟子だと思ってほしかったのに。なのに、どうしてそんなことを言うんだろう?

「アリョンさん、そんな心にもないことを言うなんてどうしたんですか?」
「それは私を信用できないということかい?」

 茶化してごまかそうとした私にマスターは鋭い視線を送る。でもその時には私だってそれなりにテルヴァンニの気質を理解していて、アリョンさんが目的のためならどんな手段だって取れる人だということもよく知っていた。

 例え私の顔なんて見たくもないほど心底嫌っていたとしても、偽りの愛の言葉を口に出すことなんてきっと容易い。そうでなければテルヴァンニでは生き残れない。ましてや、マスター・ウィザードになるなんて。

「……そうか、なるほど。君の考えもわからないわけじゃない、私もテルヴァンニの一員だからね。でも……」

 君が嫌だと言わないなら、私は思ったようにさせてもらう――そう言うや否や私を引き寄せ、アリョンさんは唇を重ねてきた。それは強引なやり方とは裏腹の、熱くも甘く優しい口づけ。

「私は君を恋人として扱う。例え君がそれを望んでいなくても、だ」

 それは単なる宣言か、あるいはマスターとしての命令だったのだろうか。いずれにせよその日から私に対するアリョンさんの接し方は変わった。報告のためにテル・ヴォスを訪れる私を必ず抱きしめるし、キスをして、好きだと囁き、君も同じように言ってくれる日を待っていると言う。

 私はどうにも落ち着かず、困惑して、戸惑ってしまうばかりだったけれど、何とか自分の本当の気持ちは隠し続けられているようだった。それでもマスターの戯れを自ら拒むことまではできずに、好きなようにされているだけだと理由をつけて為すがままにされるばかりだ。

 もし私もその背に腕を回し、口づけに応えることができたら。でもそんなことをすれば途端にアリョンさんは氷のように冷たい目で私を蔑むだろう。好かれないということよりも、嫌われることの方がもっと恐い。便利な手駒の一つでいい……このままこうして側にいられるなら。

 でも、マスターはそうではなかった。

「……アルマ……」

 それからしばらくの時が経ったある夜。熱っぽく私の名前を呼んだ唇が私の耳元を掠め、アリョンさんの腕が私を抱きしめる。

「今夜はここに泊まっておいで。意味は……言わなくてもわかるだろう」
「!」

 私の身体が強張るのと同時に素早く唇をふさがれ、情熱的なキスに酔わされずにはいられない。それでもこの人は単に一晩の相手を求めているだけで、私という個人が欲しいというわけでは決してないのだろう。手近なところにいたから、何をされても文句を言わないから。従順な弟子としてこの先の行為を求められているのなら、断る選択肢なんて初めから私にはない。

「君は強情だな。まあそんなことは最初からわかっていたから別にいいんだけれどね」

 服を脱ぎ、ベッドの上で私を組み敷いたマスターが苦笑しながら言う。

「私のことが信じられないと言うなら今はまだそれでも構わない。君が信じられるようになるまで待つさ。幸い私たちエルフの寿命は人間よりもだいぶ長いからね」

 そしてアリョンさんは私を抱き――そのまま私の隣で眠ってしまった。

「マ……マスター? 起きてください、アリョンさ……」

 そっと揺さぶってみても寝息を立てている相手が目を覚ます様子はなく、あれやこれやと試してはみたものの、このマスター・ウィザードが完全に無防備な状態で寝ているという事実は覆しようがない。

 こんな風に眠っていて、もし私がアリョンさんの命を狙う刺客だったらどうするのだろう? そうでなくとも敵意を持ってその身を害することが絶対にないとは言えないのに。

 テルヴァンニのマスター・ウィザードであれば、こんなことは絶対にしないはずだ――相手を心底信頼してでもいなければ。

「……っ!」

 それに思い当たった時、私の頬に一筋の涙が伝う。私を好きだと言ってくれたあの言葉は、私を求めてくれた想いは、全部アリョンさんの本当の気持ちだったということに気づいたから。

「ああ……アリョンさん、マスター……ごめんなさい、私」

 マスターは私を信じてくれた。何も返せない私でも、辛抱強く待つと言ってくれた。本当の想いを伝えるのに怯えていた私を、アリョンさんはずっと愛し続けてくれた。今度は、私が応える番だ。

「マスター……愛しています。愛していました、もうずっと前から」

 安らかな寝顔を見つめつつ、私は秘密を告白すると、アリョンさんの頬に初めて自分からそっと口づけた。もっと激しいキスをされたことはこれまでにだって何度もあるのに、なぜか私の鼓動はそのどれを交わした時よりもずっと早い。

「側にいさせてください。あなたが私を望んでくれる限り……」

 翌朝、何も知らないマスターはまた一方的にキスをしてきたけれど、今度は私もされるがままではなかった。首筋に腕を絡め、愛しさを込めて口づけに応えた私に、いつもの姿からは考えられないほどアリョンさんは動揺して。それでも、ずっとこの日を待っていたんだと嬉しそうに笑ってくれたから。

 だから私は、今度こそ誰よりも愛しい人の目を見つめながらはっきりと告げたのだ。

「待たせてごめんなさい。私もあなたを愛しています、マスター・アリョン」