ずっと一緒にいてくれる?

「バラダスさん、聞いてください! 今日は──」

 一日の終わり、じきに日付けも変わろうかという時間帯。この娘は今日も懲りずに私にその日の出来事を語って聞かせる。他愛もない話を、何とも嬉しそうな顔をしながら。

「それとあの子がまた炎魔法を一人で使いました。危ないから私が一緒にいる時でないとダメだと言ってあるのに」
「ダンマーの血を引く者であれば、炎の魔術など幼少の砌より息をするように扱うものだ。そう心配などせずともよかろう」
「だからと言って絵本を読みながら火の玉で遊ぶのは見過ごせません」
「……ほどほどに注意しておけ」

 以前と同じく今も続く、アルマと私の日常。かつては研究の手を止めぬ私の背に些か一方的に語られていたこともあったそれは、ようやく目と目を合わせ向き合って耳を傾ける時間となった。尤も、私がこの娘の言葉を聞いていなかったことなどいかなる時もありはしなかったが。

「でもさすがバラダスさんの子供ですね。まだ三歳にもなっていないのにこれなら、すぐにいろいろな呪文を使いこなしてしまいそうです」
「名の知れた魔術師を二親に持つのだぞ。そう驚くようなことでもあるまい」
「ええ、でも本を読んでいる横顔なんて本当にあなたにそっくりで……」

 そこでアルマはぱたりと言葉を紡ぐのを止め、音もなくその口を噤み俯く。そして時の経過を忘れるような深く重い沈黙の後で、ブレトン娘は再びその顔を上げると囁くようにこう言った。

「……あなたに、会いたいです……」

 アルマは間違いなく微笑んでいたというのに、押し殺し切れぬ哀しみはその言葉尻を隠しようもなく震わせる。零れ落ちぬようにしている涙が頬を流れるのも時間の問題だ。

「妙なことを言うものだな。今もこうして会っているではないか」

 その悲痛な言葉の意味するところを、もちろん私が理解しておらぬはずもない。どんなに足掻いたところで否定することなどできはしないのだ──この娘が見つめている私は、もう二度とその背を抱いてやることもできぬ存在であるということを。
 私にもしものことがあった時、アルマは間違いなく後を追う。それをこよなく理解していたからこそ、私はこの娘との間に子を為した。唯一正統に我が血を継ぐ者を見殺しにしてまで自ら命を絶てはしまいと、そう信じた通りにアルマは今もなおその日その日を生き延びている。

「以前よりもお前の話をゆっくりと聞く時間も取れる。いずれ時が来れば再び息子の顔を見てやるも悪くはなかろう……私のことなど覚えてはおらんだろうがな」

 あの日赤い山が火を吹き、何が起こったかもわからぬ内に私は命を失ったと思われる。恐らく私の亡骸はまだ、それとわかる形で残っているとすれば、灰燼に帰した塔を覆う灰の地層の下に在ることだろう。それから遡ること数日、アルマが知古から帝都に招かれていたことは果たして幸か、あるいは不幸だったのか。
 家族も共にという招待を、当然ながら私は断った。ならばとまだ小さな息子を連れ、この娘はアルヴス・ドレレンを発った。

『お土産にたくさん本を買って、できるだけ早く帰りますね!』

 それが、私がアルマを見た最後だった。この娘も私も、よもやそれが今生の別れになるなどとは露ほども思わなかった。しばらくすれば再び戻り、また顔を見られるものだと疑いもしなかった。
 この娘がいつどのようにこの凶報を知ったのか、私は直接尋ねたことはない。そもそもアルマは他人に頼らずとも十分生きていける蓄えも能力もある。だがこの娘が半狂乱となりあらゆる手を尽くして私を探したであろうということは、赤い年から一年の時が経った再会の瞬間に一目でわかった。

『……バラダスさん……!』

 初めて私を喚び出した時の、私を見た瞬間のアルマの顔。あの目を忘れることなど何人たりともできはしまい。手を伸ばしても触れられもせず、瞬きをすれば朧げな輪郭さえも消え失せていきそうなこの現し身の名残りを、この娘は悲痛なほどに欲し、求め、そして望んでいた。絶望と、歓喜と、悲嘆と、情愛の全てをそのまなざしに込めて。
 霊として顕現したということは、即ちその人物の死を証明する。ならばアルマは果たして私がこうして現れることを本当に望んでいたのか。できることならこんな儀式には生涯手を出さず、どこかで生き永らえていると信じ続けていたかったのか。私が生きているという可能性を否定し、その死を完全に突きつけられることになったとしても、こうして語らう仮初の時間の誘惑には勝てなかったのか……。

『久しいな、アルマ』
『あ……ぁ……!』

 言葉をかけてやるなりその場に崩折れ、両手で顔を覆って声の限りに慟哭する魂の片割れを、ただ見ていることしかできぬ己が身の何ともどかしいことか。この娘は以前と同じように私の腕に抱かれることを望んでいる。額に、頬に唇で触れ、熱く深い口づけを交わすことを。互いの境界線がわからなくなるほど溶け合い、混じり合うことを。
 ──だがそれらはもう二度と叶わない。

「すみません。我儘を言いました」

 流れ落ちた涙を拭い、アルマは無理をして笑顔を作る。死してなお己が眉間に皺を寄せている自覚はあるが、この娘からこちらがどう見えているのかを私が知る術はない。
 死が二人を別つ時が来たならば、生き残った者がどう生きようとそれはその者の自由だ。死した者のことは忘れて、前向きに生きることを咎めるつもりもない。その過程でアルマが誰か他の男と添い遂げることになったとしても、私には何も言う権利などないということもわかっている。
 だが同時に、アルマは私への想い故にその命を繋いでもいるのだ。私がこの娘を確かに愛したという証である息子を、立派なテルヴァンニの魔術師として育て上げるという使命をアルマは自らに課した。私への愛が続く限り、その日が来るまではどんな困難があろうと生き抜いてゆけるだろう。
 私を喪ってなお独りで忘れ形見と生きていくということが、死よりもなお苦痛に満ちた人生となり得るかもしれぬとしても。

「……バラダスさん」
「何だ」
「これからもずっと一緒にいてくれますか?」

 否と答えてやるのがこの娘のためだとはわかっている。私への未練を断ち切らせ、新たな生き方へ踏み出す背を押してやることが正しいのだろうということも。
 どんなにアルマを愛していても、私は今やこうして話を聞いてやることしかできない。息子が生まれたならばいずれダンマーの戦い方を教えてやると言った約束も、どんなに時が経とうともはや果たされる日が来ることはない。私は何もしてやれない。この娘が望むことは、何も。
 だが──。

「ああ。お前の望む限り、いつまでも側にいてやるともう幾度も言っておろうが」

 その頬を濡らす涙を拭ってやることさえもできぬ身では、私は言霊以外にアルマに与えるものを持たぬのだ。この娘とならば唯一共に生きたいと願ったほどの私の全てが、今この時望んでいるのが束の間の儚い邂逅だとするならば、それを拒み突き放すことなど私には初めからできようはずもない。

「そのためにこうしてデムネヴァンニ家の者の霊魂を喚び出す方法をお前に教えてあったのではないか。あの時はなぜそんなものを覚える必要があるのかと言わんばかりの顔をしておったものだが」
「……だって……」
「夢にも思っておらなんだか。私がお前よりも先に世を去ることになるなどとは」

 香の煙が微かに揺らめき、蝋燭の炎はじきに燃え尽きる。逢瀬の終わりは近く、それを引き延ばすための術もない。明日もまたこうしてアルマが私を喚び出すことはわかっていても、かつてこの娘が我が塔を去る背を見送った時よりも遥かに大きな苦しみが、在るかどうかも定かではない霊体の胸を締め付けずにはおかぬのだ。

「そら、時間だ。早く息子のところへ行ってやれ。よく寝る幼子とは言え、母親が隣に居ればより安らぐであろう」
「……わかりました。ではまた明日会いましょうね」

 涙に濡れた睫毛を瞬き、アルマは必死に口角を上げようとする。その何とも珍妙な表情もまた限りなく愛しく感じていたものだと、幾度この瞬間を迎えようと必ず思い返さずにはいられない。

「愛しています。ずっと、あなたを……」

 霞ゆく視界の向こうで、そう囁いた我が妻の頬をまた一筋の涙が伝った。