ここお化け出るらしいよ

『町外れのヴェロシの塔には近づくな』
『そこには風変わりなテルヴァンニの魔術師が住んでいて、訪問者を歓迎しない』

 グニシスに着くなり、町の住民が口々に忠告してきたのはまさに私の目的地に関してだった。私は最近テルヴァンニの下位に名を連ねたばかりで、自ら仕事を探して評価を受けなければ上の位には上がれない。そこでアークマジスターの代理人からある人物宛ての質問を携えた私は、遥々サドリス・モラから遠く離れたこの西の端までやって来た。そしてその人物こそが、件の塔に住んでいる魔術師その人なのだ。

「ねえ知ってる? あそこの塔ってお化けが出るらしいよ!」
「お化け!? 恐〜い!」
「だから悪い子にしてるとあの塔に連れてくぞってうちのパパが怒るんだ」
「……!」

 聖堂の前を通り過ぎざま、そんな子供たちの会話がふと耳に入る。思わず振り返ってその背中に視線を送らずにはいられないほど、何やら不穏なお化け屋敷の詳細を尋ねてみたくてたまらない。
 つい先日テル・ブラノラの最上階から命からがら逃げ出してきた身とすれば、そんな場所へ突入するなんて気が進むはずもなかった。けれどひと角の魔術師として身を立てるためにテルヴァンニに加入した以上、ここまで来て逃げ帰るような真似をすることもできない。どんな想定外の出来事が起こっても、テルヴァンニに所属している限りは普通でないことこそが普通なのだから。

「失礼しま……っ!」

 来訪を拒むような古い扉を開けながら声をかけてみれば、足元を丸々と肥え太ったネズミが何匹か駆け回っている。この塔の主が食べ物を塔の入り口に運ばせているという話を帝国兵がしていたけれど、もしかしなくてもこのネズミたちはそれらを食べ荒らしていたりしないだろうか。冗談なのか本気なのか、その帝国兵はこの塔の魔術師のことを静かでいい隣人だなんて言ってもいたけれど、誰も近づかないうちに塔の中で孤独死していたりはしないだろうか。
 白骨死体の第一発見者にはなりたくないと思いながらネズミ駆除を進めていると、他にも武装したスケルトンやデイドロスが闊歩しているのが嫌でも目に入る。幸いなことにデイドロスはこちらを襲ってくることはなかったけれど、扉の隙間からその姿が見えた時は思わず冷や汗が噴き出たものだ。お化けの噂の出所は、大方これらのうちのどれかなのだろう。
 恐らく最後の階段であろうと思われる場所を登っている時も、階上から何らかの蒸気音が聞こえてくるとなれば自然と足音も忍ばせてしまう。やましいことがあるというわけでは全くないけれど、使用人の影一つ見えない大魔術師の住処にいるとなれば、何が起こるかわからない以上緊張するなという方が難しい。
 そして──。

「……!」

 高い窓とドーム型の天井を擁するヴェロシの塔の最上階、そこにテルヴァンニでも指折りのウィザード、マスター・バラダスの姿があった。調べ物の途中なのか、その人は開いた本のページを繰りつつ机の上のメモを見比べている。
 声をかけていいのかいけないのか、一瞬その判断に迷う。魔術の真髄を極めるために日々を費やす高位の魔術師が、取り巻きの一人も置かずいきなり本人と接触できるような環境にいるのは珍しいのだ。それにこれまでの経験上、声をかけた瞬間相手が豹変しないとも限らないし、またどこにその危険が潜んでいるのかはその時にならないとわからない。
 けれど……。

「小娘、一体何の用だ」
「!」

 手元の本から視線を上げることもなく、想像よりもはっきりとした声で老魔術師は私に尋ねた。思わず肩を跳ねさせて辿々しく要件を告げた私に、ようやく──そして今度こそ、その赤い瞳が向けられる。

「……アルマ」
「…………」
「アルマ、何を呆けている」
「……えっ? あ!」

 そこではっと我に返った私は、あの時と同じ赤い瞳が再びこちらに向けられていることに気づいた。ただし一つ明確に違うのは、その頃のまなざしに宿っていた刺々しさが今はすっかりなくなっているということだ。

「いえ……町の子供たちがこの塔の噂をまたしていたものですから、ちょっといろいろ昔のことを思い出して」
「噂?」
「はい。あそこの古い塔にはお化けが出るとか、地下牢に捕まっている何かがいるとか」
「何だそれは。くだらん」

 あの日から私がアルヴス・ドレレンを訪れた数はそう少なくもなく、そこの主は健在だということも一応町の人たちには知られている。けれどどうやらグニシスの子供たちの間には代々伝わる恐い話として、この〝ヴェロシの塔のお化け〟の噂は定着してしまっているらしい。
 ただテルヴァンニの魔術師という存在自体が恐怖の対象として語られているのなら、その点においては当たらずとも遠からずと言っていいのかもしれないけれど。

「無謀な子供が肝試しに入ってきたりしたらどうします?」
「かつてのお前のようにか」
「なっ……⁉︎ ち、違いますよ! 私は仕事で来ていたんです」
「ほう。私が声をかけただけでクワマの幼虫の如く飛び上がっていたというに」
「……忘れてください、そんなこと」

 何か気の利いた一言を返したくても、顔が赤くなっていくのは止められない。今し方までまさにその時のことを思い出していたものだから尚更だ。
 私はこの人が恐ろしかったのだろうか? もちろん恐ろしくなかったはずがない。人間なら何十世代にもわたるような永い時間を生き、莫大な知識と魔力をその身に宿すウィザードの一人を前にして、震えずにいられるほどには私も世間知らずではないのだ。何か一つでも機嫌を損ねればその場で消し炭になりかねない、テルヴァンニの魔術師と相対するということは常にそんな危険と隣り合わせにある。
 けれどいつからだったのだろう、合わせないように逸らしていた視線が交わらないかと願うようになったのは。心臓が破裂しそうなほど緊張しているのに、もう少し近づいてみたいと思うようになったのは。古いドゥーマーの本の上をなめらかに滑る乾いた指先が、私に触れてはくれないものかと密かに望むようになったのは。
 それらが単なる興味や関心の枠を飛び越えてしまった時、私はその想いを胸の中に留めておくことはできなかった。

「何にせよ、その愚かな噂に臆して招かれざる客が近寄らなくなるのならそれに越したことはない」
「そうですね。お化けかどうかはともかく、普通の人には危険なものがたくさんあるのも事実ですし」
「それに──」
「?」

 老魔術師はおもむろに片手を伸ばし、私の頬の熱さを確かめるようにそっと柔らかく触れる。そしてどこか眩しそうに赤い目を細めたその人は、初めて会った時には想像もつかなかったほど優しい声でこう囁いた。

「お前のこんな表情を他人に見せてやるは惜しいのでな」
「っ!」

 グニシスの子供たちが実しやかに語り継ぐ噂話に、もう一つの詳細を付け加えなければいけないかもしれない。お化けが出るという町外れの古いヴェロシの塔の中には、種族の違いも年齢も超えて結ばれた幸せな恋人たちが住んでいるのだと。