どれほど長く生きていようとも、世の中には思いもかけぬ出来事がある。ある日突然我が塔を訪れた、ブレトンの小娘との出会いもまた然りだ。
不意にこの場に姿を現し、例え私がまともに答えたところで理解もできなかろうくだらぬ問いかけをし、すごすごと引き返していったかと思えば評議員になれだなどと大胆な口を利く。その娘、アルマと私の関わりを一言でまとめるならば所詮はそんな程度に過ぎないのだが、実際のところは必ずしもそれだけであるとは言い難い。
一体何の用事があるのか、あの娘は近くまで来たと言っては頻繁に我が元へ顔を出す。その度に何らかの食料や、ドゥーマーの遺物、書物などを差し入れだと言い張って持ち込み、中には“たまたま立ち寄った遺跡で見つけた”という枠にはとても収まらぬ貴重な品さえあった。
そもそも他人と関わることの極端に少ない私が、かくも四六時中顔を合わせているに等しい状況に陥り、その相手が人並み以上に機転が効く類の者であれば、さすがに多少の情が湧いたところで特段おかしくもなかろう。そうであるからこそ私はアルマに茶を勧め、他愛もない世間話に付き合ってやり、乞われれば魔術を教え、古書の紐解き方を伝授した。我らの関係は決してそれ以上になどなりはしないからこそ、私はこの小生意気な娘の望みの何をも拒まなかった。
──それはそんな時だった。双方の会話が途切れた刹那、あの娘が妙に神妙な顔で口を開いたのは。
「バラダスさんは、もう新しいお弟子さんの目処はついておられますか?」
私の指定した本を蒐集し、それと引き換えに私が評議員になることで、アルマは晴れてアリョンを後見人として持つことになった。むしろ私を説得することこそが、弟子入りに際してアリョンがこの娘に出した条件だったはずだ。
そしてマスター・ウィザードの肩書きを得た私もまた、知己の魔術師の中から一人を代理人として選ぼうとしていた。
「何故そんなことを聞く? お前は私の説得に成功した。アリョンの代理人になる条件は整ったであろう」
「ええ……それはそうなんですが、でも……」
「でも、何だ。アリョンの若造に不満でもあるのか」
「いえ! いいえ……そういうわけではないんです。ただ……」
「ただ、何なのだ。アルマ、はっきりと物を言え」
内心の動揺をごまかそうとするあまり、不自然に語気が強くなる。だがそれも致し方なかろう。なぜなら私はアルマがこんな世迷言を言い出すことを、これまでに幾度となく空想したことがあるからだ。そしてもしもそんなことがあるとしたら、私はどう答えるべきなのかを己に問いかけてみたこともある。
真っ先に思い浮かぶ答えと、告げるべきであろう言葉は常に違った。だがそんなことは現実に起こり得るはずもないことなのだから、その二つが異なっていようとも何ら問題はなかった。
しかし……。
「バラダスさんを、あなたを見ていて……この人にもっと魔術を教わりたいと、初めてそう思ったんです。もちろんマスター・アリョンも素晴らしい魔術師ですし、お師匠様として何の不満も問題もありません。でも……もしあなたが、まだ代理人として誰も選んでいないのなら……もし私を弟子に取ってもいいと思ってくださるなら、私……っ」
まるで愛の告白でもせんばかりの勢いでアルマは必死に懇願する。代理人の象徴、銀の平和の杖をこの娘はまだその手にしていない。それはすなわちアルマとアリョンの間でまだ師弟関係が結ばれていないことを示す。
つまり、今ならまだこの娘が手に入る。まだ誰のものでもないアルマを、私の手元に留めておける……。
「……これ以上己を欺くは無意味か……」
我知らず口からこぼれた、〝答えるべきでない〟その言葉。私は己が理性的であると長らく信じ込んでいた。だが所詮は私も感情に突き動かされる類の者に過ぎぬことを、こんなよそ者の小娘一人にまざまざと思い知らされる。
しかし私はあの時確かに思ったのだ。アルマがアリョンの弟子になるために私を説得しに来たと話した時、この娘をアリョンの若造に渡すは惜しい、罷りならんと。
「そこまで言うのならば、良かろう」
「!」
「アルマ、お前を我が代理人として任ずる」
そう言った私は先日来用意をしていた銀の平和の杖をアルマに手渡し、この娘が辿るべきだったであろう運命を捻じ曲げた。アリョンの弟子となる未来は潰え、アルマは我が元で魔術の才を育てる。我が代理人への就任を打診しようと、エナール・レーリス宛てに書いていた手紙はもはや出されることもない。
こんなやり口で弟子候補を掠め取るはテルヴァンニでも褒められたことではないが、アリョンも議会を牛耳るためには私の票が喉から手が出るほど欲しかろう。あるいは私の協力が魔術師一人の身柄で手に入るのなら、安いとまで思っているかもしれぬ。
いずれにせよ若造の政治遊びに付き合ってやるも今となっては吝かでもない。なぜなら私は計り知れぬ価値があるものをたった今手に入れたからだ。
「あ……ありがとうございます!」
無邪気に喜ぶブレトン娘に、仄暗くも確かな愉悦が我が胸を満たす。お前をどこにもやりたくなかったのだと、教えてやる気など微塵もないが。それでもアルマの瞳の奥に時折見え隠れする思慕の情が、今はまだ己ですら気づいていないであろうそれがこのまま大きくなることがあれば。この娘が自ら師弟としての一線を踏み越えんとする時が来れば、私がアルマに告げるべき言葉など初めから決まっている。
「さて、私の預かりとなったからには容赦せず鍛えるぞ。覚悟しておけ」
「はいっ!」
されば不確定なその日が来るまでは、我が弟子の名に恥じぬ魔術師に育て上げることに心血を注ごう。
