先日一通の手紙を受け取った。話したいことがあるので訪ねてきてほしいというその書簡の差し出し人は、私も所属するフラール家の評議員であるクラッシウス・キュリオ卿だ。私の後援者でもあるその人からの呼び出しとあっては無下にするわけにもいかず、私はそれから数日後にヴィヴェクのフラール地区の最上階にあるキュリオ邸を訪れた。
「失礼します。キュリオ卿、私に何かお話があるとか」
「ああ、マイリトルフラワー・アルマ! そんな他人行儀な呼び方じゃなく、クラッシウスおじさん♡ と呼んでほしいといつも言って──」
「そういうご用件でしたらまた後日」
「いや、ちょっと待った待った! 今日は真面目な仕事の話なんだ」
〝まあ、おじさんはいつも真面目に話しているつもりだけれどね〟と顎鬚を撫でつけながら言う人の身振りは相変わらず芝居がかっているのだけれど、その人のまなざしは雑談をしている時のそれとは明らかに違う。そんな状況でも軽口を叩くのを忘れない相手に私はため息をつきはするものの、仕事の話にお巫山戯は禁物という暗黙のルールはお互い重々承知の上だ。
「ではお聞きしましょう。今回はどういった内容のビジネスで?」
日頃の突飛な言動からは意外にも思えるけれど、不正な取り引きには決して手を出さずむしろ取り締まる側に立つキュリオ卿のことだから、また物資の横流しでもしている内部犯の証拠集めにでも駆り出されるのだろうか。いかに潜入捜査とは言え、カルデラの時のように悪事の片棒を担がなければならないのはあまり気が進まない。
けれどそんなことをぼんやりと考えていた私の予想を完全に裏切るように、劇作家の顔も持つ評議員は不敵な微笑みを浮かべてこう言った。
「今回は……芝居の依頼だ」
「……は?」
「アルマ、君には一大叙事詩の主役を演じきってもらいたい」
「…………」
ちょっと待ってくださいだとか、私は劇団員ではないんですがなんて言葉が頭の中を一瞬で埋め尽くす。それでもわけがわからず黙りこくることしかできなかった私の目の前で、相手は懐からドラゴンの印章──つまりは帝国のそれが施された書状をおもむろに取り出した。途端に走る嫌な予感に、私の背中を冷たい汗が流れ落ちる。
「実はシロディールのさる高名なパトロンから私宛てに直接依頼があった。その方は世界を救う英雄の物語をご所望でね。主演は君でという名指しの条件付きさ」
「ど、どうして私が……」
「劇のタイトルも指定がある。その名も『ネレヴァリン』だそうだ」
「!」
キュリオ卿は書状の上に書かれたその文字を指先でゆっくりとなぞると、私の表情を確認するように目線を上げてにんまりと笑った。
「こんなに興味深い題材を私に隠していただなんて酷いじゃないか、プリティーガール」
隠していたつもりはない。と言うか、自分でもそんなことはほとんど忘れかけていたと言った方が正しいだろう。私は確かにブレイズの一員としていくつかの仕事をこなしたことはあったけれど、私自身の意志が必ずしもそこにあったわけではなかったからだ。
荷物を届けに行った先のバルモラで加入したフラール家のビジネスの方が、私にはよほど興味深かったし自分の生き方に合っているように思えた。いっそブレイズだった過去はオダイ川にでも流してしまって、ただのフラールの者としてこのまま生きていくのも悪くない、むしろそうして生きていきたいと強く思った。
私にとって頼れる〝家〟は、まさしくフラール家のことだった。例え私がネレヴァリンになり得る存在だったとしても、フラールでの立場を危うくするような真似なんてしたいとは思わない。これ以上深入りしてトリビュナル聖堂から目をつけられるのも嫌だったし、そもそも灰の化け物との戦いに従事して命を落としてしまったら元も子もない。
私はフラール家のアルマだ。それ以上でもそれ以下でもなく、ただそれだけで構わない。他の称号なんて欲しいとも思わない……。
「あまりウィットに富んだパートを入れる余地がなさそうなのが残念だが、王道は王道だからこそ数多の人の心を掴むものだ。なあに、クラッシウスおじさんの手にかかれば一本道の物語だって一瞬たりとも退屈なんてさせやしないさ。もちろん、最後はハッピーエンドで笑って終わることを約束するよ」
目を輝かせてそう語るキュリオ卿は私の複雑な表情には全く気づいていないようだ。あるいはそんなことくらいとっくに気づいていながら敢えて無視しているだけなのかもしれない。
だから私の口からはっきり断りの言葉を告げなくては。後ろめたさのあまり目を合わせて言うことはできないとしても。
「キュリオ卿、申し訳ありませんがこのお話は──」
「皇帝もなかなかお目が高い。君もそう思わないかい?」
「え?」
さりげなく、けれどきっぱりと私の言葉を遮ったキュリオ卿は、仰々しく両腕を広げつつ自信に満ちた声で私に言った。
「マイスウィートキャンディ、君の魅力を最大限に生かす筋書きが書けるのはこのクラッシウス・キュリオただ一人だけだ。この世界の他の誰も、私ほど君を深く理解することなんてできない。こんなにも心を砕いて陰に日向に支援することもね」
〝その私を見込んで依頼をしてくるとは、我らが皇帝のご見識には恐れ入るばかりさ〟と、深く頷いた相手は両手を私の左右の肩にそっと乗せる。
「アルマ、勇敢で臆病なお嬢さん。確かにこれは難しい役だ。誰にでもできるものじゃないし、不安に思うのも無理はない。だが君には私がついている。このクラッシウスおじさんが一緒なら、どんなに大きな役だって何も恐れることはないよ」
「……!」
「私が君をサポートする。決して悲劇のヒロインになんてさせやしないさ……この一世一代の劇が君の笑顔で大団円を迎えるその時まで」
クラッシウス・キュリオという人はこういうところがずるいと思う。いつもは無駄に抱きつこうとしたり卑猥な話を振ってこようとしたりするのに、こういう時だけは疑いようもないほど誠実に本心を語るのだ。私の悩みも迷いも恐れも何もかも見抜いていながら、それでもこうして全力で支えることを誓ってくれる。
フラールの理念に照らし合わせれば、これは明らかに過剰投資だ。回収できる見込みのない、道楽にも近い手厚い支援。なぜ私にそこまでしてくれるのかは、一度も真面目に言葉にして伝えてくれたことはないけれど。
「さて私の可愛いりんご飴、今一度問わせてもらおうじゃないか。君はこの大長編劇の幕を上げる覚悟はあるかい?」
あっという間に日頃と同じ飄々とした表情に戻ったキュリオ卿は、それでも真摯なまなざしを私に向けながらそう問いかける。今度は私も目を逸らさず、その人を真っ直ぐに見つめて口を開く。
「キュリオ卿」
「うん?」
「私に返事を迫る前に、報酬の話がまだですよ。まさかそんな大仕事でタダ働きさせるつもりではないでしょう?」
その言葉に相手は軽く目を見開き、次に嬉しそうにそれを細める。目元に刻まれた笑い皺は、作り笑いをしている時のそれではない。
「おおっと、これは失敬失敬。もちろん生涯かかっても使い切れないような大金、永遠に消えることのない名誉はしっかり約束されている。それに言うまでもなく私からの尽きない愛と尊敬もね」
「最後の二つは不要です」
「う~ん、相変わらずつれないレディだ。だがそれでこそ私の最高傑作の主人公に相応しい!」
身悶えながらそう言ったキュリオ卿はさっそく羽ペンを片手に何枚もの手紙を綴り始める。それらが届く先の人物こそが、私と共にステージを彩ってくれる助演者たちになるのだろう。運命という名の舞台装置は既に芝居の始まりを待っている。後は私が表舞台に出ていくだけで、この壮大な物語は動き始める──レッドマウンテンでの一騎討ちという最終幕を目指して。
「君と私とフラールの名を永遠に歴史に刻む超大作だ。腕が鳴るよ、期待していてくれたまえ!」
「はい。よろしくお願いします」
私は元々演劇に興味はないし、自分で演じてみようと思ったこともない。けれどそれでも私は決めたのだ。この奇妙で愛すべき相手が書く台本に合わせてならば、生涯ただ一度の舞台に上がってみるのも悪くはないだろうと。
