マスター・アリョンの代理人になるために、アルヴス・ドレレンの主を評議会の一員として加わるよう説得する──その任務を帯びてグニシスの外れに立つヴェロシの塔にやって来た私は、バラダス・デムネヴァンニその人を前に事情の説明を試みていた。
ところが……。
「待て、アルマ」
話を遮ったバラダスさんの一言は私の唇を噤ませ、その視線は私から更に後ろの方へと外される。そして何が起こっているのかわからず戸惑う私の前で、バラダスさんは階段の辺りに向かって突然声を上げた。
「客が来たと言うに、いつまでそこに居るつもりだ。全く目障りでかなわん……失せろ!」
「!」
私が驚いて振り返ると、特徴的な装備の一式を身に纏った男が階段の陰から現れる。けれどそのモラグ・トングの暗殺者が一歩また一歩と足を進める度に、石床に響くはずの足音や鎧の立てる音は一切聞こえなかった。
「なるほど、さすがはウィザードクラスというところか? 隠密には自信があるんだがな。現にそこの女は俺の目の前を通り過ぎても何も気づきはしなかったんだが」
「……っ⁉︎」
ゴーグルの向く先をほんの僅か私の方に傾けながら暗殺者が嘲笑する。その言葉とバラダスさんの言から推測する限りでは、少なくともこの男は私の訪れよりも前から塔の中に身を潜めていたようだ。
「まあいい……上からの命令だ、あんたの命を獲ってこいとさ。バラダス・デムネヴァンニ、恨みはないが死んでもらう」
そう言った暗殺者の手には鈍い輝きを放つ短剣が握られている。それを突き立てられれば元より、掠りでもすれば刃に塗られた毒が命を奪うに違いない。
モロウィンドにやって来てからまだ日が浅い私のような者でさえ、モラグ・トングに属する仕事人たちが皆凄腕であることくらいは知っている。とは言えその現場を目にしたことなんて、当然ながらこれまでは一度もなかった。それが、こんな。
「女、邪魔をするなよ。令状に名があるのはお前じゃない」
シールド魔法を展開しようとした私に、暗殺者が鋭い声で釘を刺す。今の私ではまだこのレベルの相手に勝つことはできないだろう。それでも同じテルヴァンニの魔術師、それも味方になってくれるかもしれないであろう人が、目の前で殺されるかもしれないという時に黙って見ていられるわけもない。
「アルマ」
けれどそんな絶望的な心境の私に、隣に立ったバラダスさんは静かな声で呼びかける。まるで私たち二人の他にはここに誰もいないかのように。
「アルマ、お前は恐ろしいか」
恐がっているとは思われたくない。それでも私の足は竦み、声を上げることさえままならない。そしてそんな強がりなんて当然わかっているのだろうバラダスさんは、私よりも一歩前に出ると暗殺者から視線を外さないままこう言った。
「恐ろしいのならば目を瞑っていろ。耳を塞いでいても構わん──ただし」
「……?」
「お前も我らテルヴァンニで更に上の地位を志すつもりなら、その目を開けてしかと見ておれ。いずれお前が辿ることになるであろう道を」
──その時自由に身体が動いていたなら、果たして私は目を瞑り耳を塞いでいただろうか? 答えはきっと否だ。私の不安や心配なんて何の意味もないものだったと言わんばかりに、老魔術師はあっという間に勝負を決めてしまったのだから。
階下のデイドロスの目を隠密でごまかし、スフィアの修理中を狙って襲撃をかけたとしても、暗殺者たちの標的がバラダス・デムネヴァンニという人である限り、その依頼が達成されることはない。それほどこの魔術師は強い。きっと、私が考えていたよりもずっと。
「あのデイドロスは鼻が利かんのが欠点だな。かつてはこの部屋に置いていたこともあったが、彼奴の攻撃は本から何から吹き飛ばしてしまいよるからに……」
物言わぬ骸となった暗殺者をぺろりと丸呑みしたデイドロスの背に向かい、評議員と同等の力を有しているウィザードはため息をつく。満足げな様子で階下の召喚ホールへ戻っていくデイドラを見つめながら、私は自分の弱さと無力さに改めて唇を噛んだ。
「それにしても面白いものを見たな。気の強い小生意気な娘が、たかが暗殺者一人に立ち竦みおって声も出んとは」
「で……でも、バラダスさんにもしものことがあったらと思ったら、私……」
「くだらん。私を一体誰だと思っている? あのような小僧など、百人まとめてかかってこようが万に一つも相手になるものか」
事も無げに鼻で笑う魔術師は本当にこんな襲撃に慣れているのだろう。そして暗殺者が束になってかかってくることがあったとしても、その言葉通り圧倒的な力の差で捻じ伏せてしまうに違いない。
「よいか、アルマ。テルヴァンニでは最も恨みを買った者が最も上に立つのだ。お前が更に上を目指すということは、お前の失脚を、あるいは死を願う者が増えるということ」
「……はい」
「それらの奸計を跳ね除け、かつ己が力を誇示し続けられてこそ、代理人よりも上の座へと昇るための道は開けよう。この程度の襲撃で震えているようでは先が思いやられるぞ。今一度問うが、お前に本当にその覚悟はあるのか? 常に命を狙い続けられる覚悟が?」
これまで私は知らなかった。あるいはきちんと向き合おうとしてこなかった。席が少なくなればなるほど、当然そこに座れなくなる人は出てくる。五人の評議員の数しかいない代理人の肩書きを得るためには、今いる代理人が昇進してその席が空くのを待つか、現行の代理人を追い落としてその席を奪う以外に道はない。そして後者を選ぶなら、アウトランダーで弱い私なんて格好の標的になるだろう。
それでも命を狙われることが強大な魔術師である証だと言うのなら、私は甘んじてその挑戦を受ける。
「覚悟ならあります。私はもっと強い魔術師になって、誰にも文句は言わせません。ですからどうか評議員になってくださいませんか。そのために何か条件があるならおっしゃってください」
「……ほう。その意気やよしか……」
そこでバラダスさんから告げられた条件は本を三冊集めることで、てっきりもっと無理難題を押し付けられるのかと身構えていた私は拍子抜けした。けれどあんなにも強い魔術師が欲しい本について焦れったそうに語る姿は、その熱意も相まって不思議なほどに微笑ましく見える。特に、どこにあるのかわかっているなら自分で取りに行くと言った時は。
話がまとまり、できるだけ早く本を集めて戻ってくると約束した私は、帰り際にもう一つだけバラダスさんに尋ねてみることにした。
「あの……バラダスさん」
「何だ」
「バラダスさんはお弟子さんを取っていらっしゃらないんでしょうか?」
私ではまだ正確に何をしたのかも理解できなかったあの魔術を、もし間近でずっと見られる機会が、教えてもらえる機会があるのなら。今はまだ見習いを脱した程度の力しかない私だけれど、弛まぬ努力を続けて魔術を磨き続けていれば、いつかは私も近づけるだろうか──バラダス・デムネヴァンニという偉大なウィザードに。
「そう尋ねられるは満更でもないが、お前はもうアリョンを師と仰ぐのだろう」
「でももし弟子に取ってくださるのなら、教えていただきたいことがたくさんあります」
「ならば……」
けれどそこでバラダスさんは我に返ったように口を閉じると、顔を顰めて目を逸らした。
「……っ、いや、もうよい。その話は終いだ。さっさと行け。忘れるな、三冊全て揃えるのだぞ」
「は、はい!」
追い立てられるようにして塔から外に出た私は、もう今しがたまでの恐怖を忘れていた。
