気が散るからやめろ

 釈放と言えば聞こえはいいけれど、ヴァーデンフェルへの流刑は今やほとんど死罪と同然だ。重篤な病気が蔓延し、異形のモンスターがじわじわと迫り来ているとなれば、正気を失う人々が日を追う毎に増えていくのも当たり前のことだろう。
 そんな時期、そんな場所へ、頼れる人も記憶もない私は独りで降り立った。見たこともない植物や、食べたことのない食事が並ぶ土地で、一日一日を生きていくことはとてつもなく大変なことだった。宿に泊まる手持ちもない時はひたすら野宿をしたり、空腹のあまり手近なキノコを口にしては食あたりにのたうち回ったりもした。そして、何よりも地元のダンマーたちのよそ者への酷薄な態度には数えきれないほど打ちのめされたものだ。
 こんな呪われた土地なんて滅びてしまえばいいと、灰の嵐が収まるのを待ちながら何度考えただろうか。一刻も早くこんな場所から逃げ出したい一心で、私は本土に渡る船代欲しさにブレイズの仕事をこなした。後腐れがなさそうだからと、その後の生計を立てる術を得るためにテルヴァンニで魔術を磨いた。
 だからある日気づいた時には大いに驚いたものだ──ヴァーデンフェルから出ていこうと必死に生き抜いている間に、いつしかここでの暮らしに愛着を感じ始めていた自分自身に。
 いつしか、と言うのはあるいは正しくないのかもしれない。きっと私はわかっている。そう思い始めたのが一体いつの頃からだったのか、もっと直接的に言えば誰の影響なのかということを。

「バラダスさん」
「何だ」
「ご存知ですか? もうすぐ世界は終わるなんて、最近はどこへ行ってもそんな噂話で持ちきりです」
「……噂話だと?」

 グニシスの町外れ、遥か昔からこの場所に存在しているヴェロシの塔の中で、私は悠久の時を生きるウィザードの背に向かって語りかける。その相手は──セルジョ・テルヴァンニ・バラダス・デムネヴァンニは、本のページをめくっていた手を止めてこちらを振り向くと片眉を上げた。

「第六の大家を名乗る化け物共が夜に昼に跳梁跋扈しておるのだぞ。未だ現実も直視できん無知蒙昧な者の多さにはもはや呆れもせんわ」

 サドリス・モラで黙々と魔術の知識を吸収した私は、そろそろ潮時だとテルヴァンニとはある程度距離を置こうとしていた。ブレイズの方も段々ときな臭い内容の話が増えてきたし、何より本土で心機一転やり直せそうな資金がようやく貯まったところだったのだ。そんな時に舞い込んだ、西の端に住む隠者を説得してほしいというマスター・アリョンからの依頼。それを最後に本土行きの船に乗り込もうとしていた私は、結局今に至るまでヴァーデンフェルを離れていない。
 ──この人と、出会ってしまったから。

「ではバラダスさんは本当に世界が終わる日も近いと考えていらっしゃるんですね」
「ある程度の見通しが利く者ならば誰もがそう考えるであろう。私はそれを否定するほど楽観的でも愚かでもない」

 それは本来私のような下っ端が口を利けるような相手ではなかった。たった一握りのマスター・ウィザードたちにさえも匹敵する、強大な魔術師にして高名なドワーフ学者でもあるその人は、それでも私を一人の人として真っ当に扱ってくれていたように思う。
 ぶっきらぼうではあったけれど、決して粗野だったわけではない。気乗りがしないと言いながらも、頼まれた仕事をこなせば約束は守ってくれた。その言葉の一つ一つは深く、また確かな意味があった。かと言って堅苦しいだけかと言えば決してそうではなく、時にはこちらの揚げ足を取るような冗談さえ口にしてみせる。
 それはヴァーデンフェルへ流れ着いた私が初めて感じた心地良い時間だった。バラダスさんと話せる時にはいつでも心が弾んだ。次はどんな言葉が返ってくるのだろうと思うとワクワクしたし、やり込められたり釘を刺されることにすら楽しさを感じていた。その人を今のような姿たらしめるに至ったあらゆる物事を、時間の許す限り尋ねてみたいと私に思わせるほどに。
 端的に言えば、心を惹かれてしまった。それが人としてという意味なのか、あるいは男女の情という意味なのか、私にとってそれらは大した違いのないことだった。ただその人の側にいたいと、もっと相手のことが知りたいと、私が望んでいたのはそんな単純なことだけだったのだから。

「世界が滅んでしまうことが……死んでしまうことが恐ろしくはないんですか?」
「何千年も生き永らえ不死とも呼ばれたマーでさえ、死ぬ時は呆気なく逝くものだ。何処ぞの小僧が戯れに矢を弓につがえ空へと放ったとして、それが他人の心臓を貫く可能性は常に皆無ではない。いつ何時来るかもわからんその瞬間に怯えていては、とても日々を生きられはすまいて」

 そう答えるバラダスさんの声は日頃と何も変わない。例え明日世界が終わると言われても、この人は平然と研究を続けるのだろう。焦るでも、自棄になるでもなく、淡々と、いつも通りに。
 飽きるほど永く生きていれば、いつかはそんな境地に達することもあるのだろうか? 私ではまだそんな心境を想像することさえもできはしない。私はこの人にもう会えなくなるかもしれないということがこんなにも恐ろしくて、暇さえあれば少しでも顔を見に来ずにはいられないというのに。

「……バラダスさん」
「何だ。いい加減に気が散るからやめろとでも言ってやらねばわからんのか」
「もしこのまま世界が終わってみんな死んでしまうとするなら、あなたは最後の瞬間に誰と一緒にいたいですか?」

 手元に視線を落としたままそう尋ねた私を、老魔術師は一体どんな顔で眺めているのだろう。自分で問いかけておきながら、私はもう答えを知っている。バラダスさんは誰も必要としない。今までそうであったように、これからも。私の名前がそこに入ることなんて決してありはしないのだ。
 それでも、もし私が同じことを誰かから問われたなら。私は一瞬も迷わずバラダス・デムネヴァンニという人の名を挙げるだろう。私が私である限り、必ず、いつどんな時でも。

「誰も要らん。私がこれまでそうしてきたようにな」
「…………」
「私の死だろうと世界の終わりだろうと、その瞬間に何らかの意味を持たせるつもりもない。だが……」

 そこでつと言葉を切った相手を不思議に思い顔を上げると、バラダスさんはその赤い瞳で私をじっと見つめている。そしてどことなく侘しげなまなざしをした老魔術師は、私に視線を注いだまま静かな声でこう言った。

「さすればこうしてお前と相語るも終いだ。それは惜しくも思う」
「!」

 私はこんな時代に生きているということが恐ろしい。自分にとってたった一人、かけがえのない特別な人がここにいるということがわかっているのに、今日明日にでも失ってしまいかねないこの世界がどうしようもなく恨めしい。
 違う時代に出会っていたら。違う状況で出会えていたら。けれど、今この時だからこそ私はバラダスさんとめぐり逢えたのだ。その人のためならどんなことでも厭わない、この命さえ惜しくはない、そんな風に思わせてくれる世界にただ一人の人と。
 そんな人と過ごせる日々を、私はまだ終わらせたくはない。滅びの日を何もせずに待っていることなんてとてもできない。最後の瞬間を迎えるのなら、もちろんバラダスさんとここで二人一緒に過ごしたい。けれどもしできることなら、その時間を終わらせないために最後の一秒まで必死に足掻きたいのだ。
 そして、私はその奇跡に通じる細く険しい道がどこにあるのかを知っている……。

「バラダスさん」
「何だ。まだ何かくだらん質問でもあるのか」
「アッシュランダーの間に残る救世主の伝説をご存知ですか」
「救世主……? ああ、ネレヴァリンとやらか。近頃はとみにその名を聞くな」
「はい。もし今そのネレヴァリンがモロウィンドに現れて、この世界が破滅の危機から免れることができたら……」

 私は試練を受けることから逃げた。救世主なんてものにはなりたくないと、ただ平穏に生きていきたいだけなのだと、他の大多数の人がそうであるように私もまたそう願っていたからだ。こんな土地からは逃げ出して、普通の生活を送りたかった。けれど今の私には、それ以上に強く望むものがある。
 だから私は尋ねた。落ちれば一瞬で命を失う断崖絶壁にかけられた細い板の上を、目隠しをして渡り切らなければならないような場所に自ら赴くために。

「その時は、ここであなたと一緒に暮らしてもいいでしょうか?」
「!」

 相手の目が軽く見開かれ、私の問いが予想外であったことを物語る。今ここで馬鹿なことをと拒絶されたとしても、私はネレヴァリンに成るための試練に挑むつもりでいた。途中で失敗したり、生きて還れる見込みがなかったとしても、どうせみんな死んでしまうのならいずれにせよ同じことだと。
 けれど、もしバラダスさんの口から私の望む答えが返されたなら。

「……奇妙な娘だとは思っていたが、まこと意味のわからんことを言う。お前ほど物好きな娘など、タムリエル広しと言えどもそうそう見つかりはすまいて」

 その目を閉じ、そっと頭を横に振る相手の声は囁くように小さい。それでもその言葉には私を蔑む響きは少しも感じられない。再び開かれたその目にも、涙が込み上げてくるような温かさ以外は何も見えない。

「しからばアルマ、そんなお前と過ごす時間は実に愉快なものとなろうな」
「……っ!」
「構わん。お前の好きにしろ」

 死にたくない。少なくとも、今はまだ。なら今踏み出さなければ。それがどんなに過酷な道か、震えるほどに予感できていても。

「私は己以外を信じん。神に祈ったこともない。だがその救世主とやらがこの世にいるのなら、アズラの遺した預言の成就を願ってやろうではないか」
「バラダスさ──」
「物事には必ず終わりが来る。しかしそれは何も今この時でなくともよかろう」
「……はい!」

 そっと頭を撫でてくれるこの手の温もりを覚えている限り、私は前だけを見て歩み続けることができるだろう。大きな荷物を抱えて再びこの塔に戻って来るその日まで、私の心を折ることはもう誰にもできはしないのだから。