「公爵、まずいことになっています」
「どうした、またイルメニが奴隷解放のデモ行進でも始めたか。それともオルヴァスが度重なる脱法行為でついに討伐対象にでもなったか」
「どちらでもございません。貴方様とネレヴァリンのことについてです」
「アルマと私の? どういうことだ」
エボンハートの城の中、名ばかりとは言えその主の部屋とは思えない手狭な執務室で、私は顧問のラーラムの言葉に書類仕事を中断し顔を上げた。
「先日、ネレヴァリンが城へ赤ん坊を連れて来たことがございましたでしょう」
「港湾近くで偶然見つけたと言っていたあの赤子のことか」
「はい。あれが公爵とネレヴァリンの子なのではないかと、どこからかそんな噂が市中に出回っているようなのです」
「な──」
思わず絶句する。アルマはアズラの預言に記されし英雄ネレヴァルの再来で、ダゴス・ウルを倒し平和をもたらした歴史に残る救世主だ。この地では良い扱いを受けられるとは言えないよそ者でありながら、現人神ですら不可能だった偉業を成し遂げた功績からすれば、そんな不遜な噂を流す者がいるとはどうにも信じ難い。
「下世話にも程があるな……大体あの赤子は実の親の望み通りシロディールに養子に出した。一体何をどう曲解すればそんな噂が出てくるんだ? アルマと私がそんな関係にあるとでも思われているのか」
「アルマはアウトランダーとは言えネレヴァリンです。その上皇帝直属の組織の一人でもあると言うではありませんか。ヴァーデンフェルの公爵であり皇帝の名代でもあるヴェダム様と、モロウィンドの英雄であり帝国とも関わりの深いアルマが結ばれれば、ますますこの地も安泰だと考える者がいてもおかしくはありません」
「……!」
たった今ラーラムが言った通り、アルマと私の間には極めて政治的な匂いが常につきまとう。最後まで帝国の一部となることを拒んだモロウィンドの歴史柄、シロディールに染まり過ぎることをこの地の住民は好まない。五大家の中で最も帝国に近しいフラールの長である私が、公爵の座に就くことを快く思わない者も少なくはなかったはずだ。
アウトランダーであるアルマもその点において歓迎されはしなかっただろうが、大家だけでなく灰の民からも尊敬と信頼を勝ち得た結果、もはやモロウィンドでは民族の英雄として絶大な支持を誇っている。例えアルマ自身に人々を動かそうという意図がなかったとしても、その一挙一投足は注目され、影響力は私の比ではない。
だからこそ私は付かず離れず、公の場所では一定の距離を保ってアルマと接してきた。踏み込み過ぎれば大家同士の力の均衡はあっという間に崩れ、どうにか維持している安定すら失わざるを得なくなるだろう。
「いかがいたしましょう? 今のところ他の大家の議員からは苦情の申し立てはありませんが……」
「だがそれも時間の問題だろう。お前の言から察するに、噂の出所は城の衛兵か東帝都社の者あたりに違いない。おかしな尾鰭がつかないうちに手を打て。対応はお前に任せる」
「かしこまりました」
急ぎ部屋を出て行ったラーラムの背中を見送った後、私は我知らず机に両肘をついて頭を抱えていた。
「……なぜこんなことになる……」
革命家の娘と極悪人の弟を持ち、フラールを統べる重責に加えヴァーデンフェルの統治をも求められ、相容れない大家同士の主張をどうにか大議会で合意へまとめ上げる、それだけでは私の背負うべき重荷は足りないとでも言うのだろうか。この歳になって泣き言を喚くつもりなどありはしないが、それでもやはり我が身の悲哀を嘆くため息が尽きることはない。
「そんなにため息ばかりついていると、幸せが逃げてしまうと言いますよ」
その時、私以外に誰もいないはずの部屋の中からそう囁く声が響く。相変わらずテルヴァンニの魔術師にも引けをとらない幻惑術の腕前だと、私は声が聞こえた方向に目をやりながら内心で感嘆した。
「アルマ、聞いていたか。どうやら私たちの間にはもう子供が産まれているらしいぞ」
「ええ。道理で街を歩いている時の周りの視線がいつもと違っていたわけですね」
何もない空間から透明化の術を解いたアルマが姿を現すと、私たちはいつもそうしているように互いに腕を回し抱擁を交わす。いかなる時も人目を避けなくてはならず、大手を振って外に出ることさえできないとわかっていても、こうして会わずにいられないほど愛しい恋人との再会を祝して。
「奴隷の待遇について意見を聞きたいので近々面会したいとイルメニさんからお手紙をいただいていたんですが、この噂が落ち着くまでは見送った方がいいかもしれません。いくら別々に暮らしていると言っても、あなたの……お父様の名前が絡めばもちろん良い気持ちはしないでしょうから」
「いつもながら気遣いの細やかなことだ。イルメニも私の相手がお前ならば賛成こそすれ、反対する理由もないだろうに……」
「理由なら数えきれないほどありますよ。それに私は今以上のことを望んでいるわけではありません」
そう言ったアルマは私に向かって明るく微笑んでみせたが、その笑顔にどことなく微かな陰があるような気がしてしまうのは、そうであってほしいと思う私の願望に過ぎないのだろうか。
アッシュランダーの間で話題になっている奇妙なよそ者の噂を耳にした時は、まさかその相手と恋に落ちる日が来るとは夢にも思わなかった。だが伝説の人物たり得る者についての報告を聞いているうちに、私はいつの間にかアルマに個人的な興味を抱くようになっていたのだ。そしてこの城を訪れたアルマと初めて顔を合わせたその日から、私の想いはますます強くなり恋煩う日々を送った。
若く将来のある相手に不都合を強いると理解しながら、密かに何通も手紙を送り年甲斐もなく口説き落とすに至ったのは、私の中のフラールの血がそう駆り立てたからなのだろうか。自分の望みが禁断の果実であるということがわかっていても、この手を伸ばせば届くならばそれを掴まずにはいられない……。
「それにしてもお前の方から会いたいと言ってくれるとは珍しいな。何か特別な話でも?」
「はい……その、あんな噂が立っているとは思いませんでしたが、ちょうどいい機会ですから」
「……アルマ?」
「私はもうヴェダム様にお会いしない方がいいのではないでしょうか」
〝私があなたに会うことで、これ以上あなたの立場が悪くなってしまうのは嫌なんです〟と、アルマは静かに、それでいてはっきりとした意志を込めてそう言った。その方がいいということは誰の目にも明らかだろう。そもそも私たちはこんな関係を築くべきではなかったということも、今更指摘されるまでもなく初めからわかっていたことだ。
それでも……。
「断る」
「公爵──」
「頼む、もう会わないなどとは嘘でも口にしないでくれ。お前にこうして会えるからこそ私はどんなことにも耐えられる。いい歳をして何を言っているのかと呆れられるかもしれないが、私はお前を愛している。心から愛しているんだ、アルマ」
フラールの信条に則れば、アルマが私といて享受できる利点はほぼないと言っていい。むしろ私といることで全体的な収支はマイナスになるだろう。市井の者のように自由に会うことができるわけでもなく、付き合っているということすら明かせないしがらみだらけの相手など、これ以上時間を無駄にしないためにも早く損切りをするべきだ。そしてその精神を体現すべきフラールのグランドマスターであるならば、この絶対的な真理を覆すことなどできないということもまた知っている。
いや、〝知っていた〟と言うべきかもしれない。アルマに恋をするまでの私は、その法則を乱すことのできる唯一の感情の力を侮っていたのだから。
「アルマ、何か言ってくれ。それともお前はもうこんな面倒な男を愛してはいないか」
「そんな……!」
無理をして保っていたのだろうアルマの表情はついに崩れ、長らく心を苛んでいたと思しき苦悶の色が瞳を覆う。
「私だってあなたが好きです。好きなんです……大好きです、ヴェダム様」
苦しげに歪められたアルマの目からは見る間に涙があふれ出し、想い人にそんな顔をさせてしまう無力を私は恥じて然るべきだっただろう。だが私は自分がここまでアルマの心を占める存在になれたということに、湧き上がる愛しさだけでなく仄暗くも確かな感動を覚えていた。
「あんなことを言ってごめんなさい。これからもまたこうして公爵とお会いしてもいいでしょうか?」
愛というのは不条理なものだ。一ドレイクも払わず手に入れることもできると言うのに、そのためならば全ての財産を投げ出しても構わないとまで思わせる。
私との関係によってアルマは大きな損を被り、私は一方的に得をした。だが恐らくアルマは自分が搾取されていることに気づいてもいないだろう。金銭に換算できない愛という名の麻薬にひとたび浸かってしまえば、どんな目利きの腕も鈍り、正常な判断などできなくなってしまう。
それはとてつもなく危険で、私の全てを滅ぼしてしまいかねない──そんな単純なことにさえ、もはや私の注意は向いていないのかもしれない。
「もちろんだ、アルマ。私はお前がまたここに来てくれる日を首を長くして待っている。いつまでも、お前ともう一度こうして二人きりで会える時を……」
悪名高い月の砂漠の砂糖さえ、恋に狂った二人が重ねる唇の甘さに勝りはしまい。
