地獄で後悔しな

 オドラル・ヘルヴィの汚職の決定的な証拠を押さえるため、キュリオ卿は私をカルデラの彼の元に送り込んだ。表向きはその指図に従い従順な手足として振る舞わせつつ、フラール家に損害を与えるあらゆる行為を秘密裏に妨害させようと。
 けれど私はキュリオ卿の密命には従わなかった。否、従えなくなってしまった。まさしく悪党と呼ぶに相応しい、大胆にして慎重なオドラルさんに徐々に魅入られてしまったからだ。

『君にはビジネスの才能がある』
『君の能力を活かせるのは私だけだ』
『全て私の言う通りにしていればいい』

 甘い毒を含んだ言葉。初めはとんでもない悪事に加担してしまったことに恐れさえ抱いていたのに、ひとたび彼が満足する顔を見てしまえば全てが報われたような気がしてしまう。他の評議員の後見を受けるよりも、ここでオドラルさんの描く壮大な計画の実現に手を貸す喜びを味わっていたいと。
 実際のところ彼のやり方はスマートとは言えない時もあるし、もう少しで全てが露見してしまいかねないような時もあった。それでもそんな危機を間一髪で回避してこられたのは、それに気づいた私が上手く手を回して処理してきたからに過ぎない。
 私がキュリオ卿や公庫の責任者の目をごまかし続けられなければ、オドラル・ヘルヴィという野心に満ちた悪人は即座に縄で首を括られてしまうだろう。彼には私がいなければダメなのだ。その野望を満たせるのは私がいるからなのだ。私という協力者がいなければ、敵の多いオドラルさんはあっという間に全てを失う。
 私にはそれがよくわかっていた。そして相手もまたそれを理解してくれるはずだと、心のどこかでずっと期待していた……。

「アルマ、いいところに来てくれた。新しい仕事を一つ頼みたい」
「はい」
「この手紙をヴィヴェクに届けてくれ。以前と同じく公庫のアシスタントのテニシ・ラドリに」
「わかりました」

 フラール家の一員になってから、傍目にはわからないように手紙の封を切ることも上手くなった。透過の魔術を応用して中身だけを見ることもできる。だから以前オドラルさんが私にテニシさんへ機密文書を届けるように言った時、まだキュリオ卿との板挟みになっていた私は密かに文書の写しを作っていた。彼が持ってくるように頼んだアスカディア諸島の土地の権利書の原本も、渡したのは私が作ったコピーで、本物は今も私が保管している。つまるところ、オドラルさんの悪事の証拠は全て私の手元に揃っているのだ。
 彼を信じていなかったわけではない。ただ、私もフラールの者の例に漏れず用心深かったというだけだ。不要になったら処分すればいい。私がいなければダメなのだと、私こそが必要なのだと、オドラルさんが気づいてくれさえすれば。
 私はこれまでそうしていたように、巧妙かつ丁寧に封蝋を剥がした。そしてオドラルさんの香りが残る手紙を中から取り出すと、彼の強欲な内面にも似た荒めの筆致を素早く目で辿った。そこには以前と同じく情熱的なテニシさんへの愛の言葉と、〝言った通りに働く馬鹿正直なよそ者女〟に全ての罪をなすり付け、本土へ逃亡するための資金が準備できたことが記されていた。

「…………」

 今更私が手紙を盗み見るはずはないと思われているくらいには信頼されていたのだろうか。あるいはどんな扱いをしても私が裏切れるはずはないと見くびられていたのだろうか。
 どちらにせよ、私が手紙の内容に衝撃を受けなかったということはないだろう。二人の関係は最初の文書を届けた時からもちろん知ってはいたけれど、私の存在がこんなにも軽んじられたままでいるとはさすがに思ってもみなかった。考えたくもなかった──私がただの便利屋のまま、ずっと蔑まれ続けていたなんて。
 怒りも悲しみもやるせなさも、私は何も感じなかった。ただ真っ直ぐヴィヴェクのフラール地区へ向かうとキュリオ卿の元へ直行し、これまで私が手を染めた全ての罪を洗いざらい打ち明けた上で証拠を提出した。

「……わかった。君はもう何も言わなくていい、賢いお馬鹿さん」

 犯した罪の重さを鑑みれば、私にも間違いなく何らかの処罰は下る。フラール家を追放されても文句を言えないことをしたのだ。けれどキュリオ卿は私がなぜ今まで報告に来なかったのか、そしてなぜ今になって突然全てを告白する気になったのかを、私の顔を一目見るなり理解してしまったらしい。フラール家への背信行為を白状したというのに、キュリオ卿が私を見つめるまなざしには憐れみだけが宿っていた。自分が一体どんな顔をしていたのか、鏡を見なかったのは幸いだったのだろうか。
 いっそその場で責め立ててくれれば少しは心が軽くなったかもしれない。けれどキュリオ卿はいつものような軽口は一切叩かず、一晩ゆっくり休めと自ら客間に案内してくれた。そして翌朝再びインペリアルの評議員と向かい合った私は、オドラルさんとその関係者が昨夜のうちに軒並み逮捕されたこと、私は厳重注意と幾許かの罰金の支払いのみに留められたこと、またオドラルさんを本土で裁判にかけるための移送が午後には行われるということを伝えられた。

「スウィーティー・パイ、君の貢献に免じて私から船には話をつけておいたよ。一言二言交わすくらいなら帝国兵も目を瞑ってくれる」
「……!」
「セイダ・ニーンまではシルトストライダーで二時間だ。とは言え、行くなら早い方がいい」

 葬儀の参列者を見送るような表情のキュリオ卿に手短に礼を言うと、私は外国人地区のシルトストライダー乗り場へ急ぎ、そのままヴィヴェクの都を発った。
 セイダ・ニーンの岸辺に泊まる、今となってはもはや懐かしい囚人船。出航の準備をしている数人の帝国兵たちは、私の顔を見ても何も言わずに作業を続けている。キュリオ卿の迅速な手配には舌を巻くしかない。
 甲板から下へ続く階段を降り、澱んだ空気と饐えた悪臭が漂う中を私は真っ直ぐに奥へと進む。そして呪詛とも嗚咽とも知れない唸り声が漏れる牢の前で、私は静かに足を止めるとそこに蹲っている人を見下ろした。

「……アルマ⁉︎ そうか、これはお前が……!」

 弾かれたように顔を上げて私を見たオドラルさんは、全てを悟り歯を食いしばると血走った目で裏切り者を睨みつける。その姿は何とも見すぼらしく、前夜までカルデラの領主の館で大手を振っていた人物だとは信じ難い。

「残念です。あなたには何度も気づく機会があったはずなのに」

 私は決してオドラルさんのような悪人に憧れていたわけではなかった。けれど、野心に燃えるそのまなざしを私にも向けてほしかった。財や権力を求めるように私にもその手を伸ばしてほしかった。この強欲なダンマーが決して手放しはしないだろうただ一つの戦利品になってみたいと、私は無謀にも叶うはずのない望みを抱いてしまったのだ。
 もしその想いを恋と呼ぶなら、私は狂おしいほど彼に焦がれていた。私自身を焼き尽くすことさえも厭わないほどに。

「この……薄汚いよそ者女が! 私は! フラール家の貴族だぞ! お前よりもよほど価値のある、優れて秀でた存在なんだ! それを……っ」

 見苦しく喚かれる罵詈雑言の一つ一つにも、怒りさえ沸かない身にはもはや何の感慨も抱けない。その視線の先に映ることをあんなにも熱望した、その声で名前を呼んでほしいと夢に見るほどに望んだ、そんな相手が目の前で鎖に繋がれているのに。私さえその気になれば彼を助けることだってできるというのに、今の私はもう少しもそんな考えに心が動かない。

「マラキャスに呪われろ、穢れたアウトランダーめ! もし私が──」
「オドラルさん」

 私を振り向いてくれていれば。私に好意を持ってくれてさえいれば。私をただ一人の相手として選んでくれていれば、私は最後までこの人についていくつもりでいた。例えそれが地獄へと続く、邪悪な道だとわかっていても。

「私を選ばなかったことを、オブリビオンで後悔してくださいね」

 もう二度と会うこともないだろう相手にそれだけ言い残すと、私は船出の準備が整った囚人船を一人後にした。