「こんにちは、バラダスさん」
「アルマ、またお前か」
「お邪魔でしたでしょうか?」
「いや、よい。ちょうど一息つこうとしていたところだ」
研究が行き詰まりかけていたその日、珍客は再び我が塔を訪れた。私と同じくテルヴァンニの魔術師として名を連ねるブレトン娘、アルマ。初めは誰かしらからの遣いとして、今は大した用もなく顔を出すようになったその娘のことを、私はいつしか親しく感じ、あるいはそれ以上に想っていた。
他人の庇護下にあり、また年齢や種族がかけ離れた相手に対し、私はこれまでそういった類の感情を覚えたことがなかった。とは言え齢二千を数えようという私から見れば、うら若いブレトン娘など赤子に等しいどころではない。それは即ち逆もまた然りと理解できておればこそ、私は特段今の関係を変化させるべきだとは思わなかった。
アルマが一体何を求めて我が元を訪れているのかなど知る由もないが、耳目を集めずにはおられぬ東よりは多少心が安らぐこともあろう。長いテルヴァンニの歴史の中でも、あの娘は些か特異が過ぎる。その身にダンマーの血が通わぬ者が辿り着ける地位を遥かに超えた場所まで、アルマは自らの知性とマジカを駆使することで昇り詰めた。テルヴァンニの治下では良くも悪くも名が通り過ぎているのだろうあの娘が、多少の息抜きを兼ねて我が元に姿を見せるというのならば、私は敢えてそれに異を唱えることはなかった。
「最近の研究はいかがですか? エナールさんは頼まれていた資料がもうすぐ全て集まりそうだと言っていました。私がバラダスさんのところに行くならそう伝えてほしいと」
「そうか。だがそれだけでは仮説を検証するに不十分かもしれんな……どうにもここ数週間は行き詰まる、突破口となる何かが見つかればよいのだが」
「気分を変える必要があるということですか?」
私が淹れてやった茶を口に運びながらアルマは目を瞬いてそう尋ねる。
「端的に言えばそうなるか。いずれにせよ今の仮説にこだわっているだけでは進展は見込めんのでな」
「でしたら最近流行っているカードゲームなんていかがでしょう」
「何?」
思いもかけぬその言葉に私が呆けていると、ブレトン娘は自身の荷物の中から装飾箱に入った遊戯を取り出した。私が生きてきた長い年月の中で似たようなものは幾度も見てきたが、これもまたその例に漏れず似通った規則に従って用いるのだろう。アルマが手短に説明した限りでも私は疑問を抱くことなく、数回の試遊の間に勝利することもそう難しくはなかった。
「さすがですね。もう少し有利不利があるかもしれないと思っていたんですが」
「随分と甘く見られたものだな。私を侮ると後悔するぞ、アルマ」
「……侮ったことはありませんよ、どんな時も」
どこか神妙な面持ちでそう呟いたブレトン娘は慣れた手つきで再びカードを切ると、いつか私が与えた指輪を嵌めた指先で紙片を配る。そして規定の枚数を配り終わったところでおもむろに顔を上げたアルマは、先ほどまでとは打って変わって心の内を伺わせぬ表情のまま私に言った。
「バラダスさん」
「何だ」
「いくら気分転換とは言え、ただ遊ぶだけではおもしろくありませんので……そうですね、負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くというのはどうですか?」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、脳裏を掠める我が秘めたる願い。私のものになれ、と臆面もなく口に出すほど恥知らずではない。さりとてそれを考えずにいられるほど高尚なつもりもない。
しかし有利に乗じ、不利につけ込むはテルヴァンニの常套手段とは言え、たかが遊戯に何を期待しているのかと我知らず自嘲気味な笑みが漏れる。わざわざ言葉尻など捉えずとも、その気になればこんな小娘一人いつでも我が意のままにできるのだ。それでもそうしなかったことの意味を、自ら無に帰すつもりはない。
「よかろう。ならば私が勝ったらお前にはドゥーマーのチューブを三本ほど調達してもらうとするか」
「わかりました。ではもし私が勝ったら、その時は――」
当たり障りのない、されど私には有用であろう返答を告げると、アルマはほんの僅か唇を引き結び、次いで自らの条件を告げた。
「私と付き合ってください。あなたが好きなんです、バラダスさん」
驚きは感じなかった。より正確には、驚くことすらできなかった。目の前の娘が口にした言葉の意味がわからなかった。あるいは、その言葉の意味するところが己が知るそれと同じであるとはとても思えなかった。
――この娘も、アルマもまた、私のことを。
「……常々口の達者な小娘だとは思っていたが、どうにも嘘ばかり上手くなりおって……」
私は苦虫を噛み潰したような顔で何とかそう答えはしたが、内心の酷い動揺を一瞬で鎮めきることはさすがにできない。ブレトン娘のうわ言が真実である保証などどこにもないというのに、いかんせんあの言葉は強すぎた。己が胸の内に長らく秘した秘密を抉り出され、望み続けたものを眼前に晒されているにも等しかった。
ここで私が負けたとて、アルマが何をする気なのかは知らぬ。十中八九掌を返し、我らの関係が変わることなどない。年甲斐もなく何を期待していたのかと、嘲笑われることさえあり得るだろう。しかしその場合に私が手を抜かなかったと確信を持って言えるだろうか? 必ず勝つと、決して躊躇はせぬと、その強い意志を保ち続けることが果たして私にできるだろうか?
勝てば何も起こらぬ。そして負けてもまた何も起こりはしないだろう。だが何かが起こるとすれば、それはあの娘が勝利した時でしかあり得ない。全く面倒な心理戦を仕掛けてくれたものだと思いはするが、この娘もまた確かにテルヴァンニの誇る強大なウィザードの一人なのだ。相手を侮ってはならぬというのは、恐らく私の側とて同じなのだろう。
「私に懸想しているだなどとかくも真に迫った物言いをして、もし私がその言葉を鵜呑みにしたらお前は一体どうするつもりだ? そんな戯言で私の精神を乱そうとしても通用せんぞ、愚かな小娘が」
「では確かめてみましょう。あなたと私のどちらが勝つのか――そしてどちらの願いが叶うのかも」
そのアルマの言葉を合図に、我らは最初のカードを開けた。
