口が達者ですね

 この歳になって恋文を受け取った。差出人は私と同じくテルヴァンニの魔術師として名を連ねる異種族の小娘で、何を血迷ったのか私を愛しているとしたためている。年長者への敬愛と解釈することは許さぬとでも言わんばかりに、一人の男としての私を恋慕っているのだと。代理人を介して手渡されでもしていたら否定することも叶わなかったが、あの娘は私以外の誰にもその想いを気取られたくはなかったのだろう。私が常日頃用いている文机の上の本の合間に紛れ込ませるように、ブレトンの小娘は──アルマは、恐らく自らこの手紙を忍ばせた。
 返事など無論くれてやるつもりはなかった。そもそもこんな馬鹿げた文は、書き損じの羊皮紙と共に焚き付けにでもしてしまえばよい。だからこそ次に差出人が我が塔を訪れた時にも、私は恋文のこの字もおくびに出さずその娘と接した。アルマは何も言わなかった。その態度にも表情にも、私からの反応を待っていたと思しき何らかの感情の揺らぎはおろか、手紙のことなど全く意識になかったようにさえ思われた。
 だが私は以前からアルマの筆跡が如何なるものかを知っていた。そして手紙は紛れもなくその者の手によって書かれていた。インク溜まりの少ない、整っていながらも流れるようなそれは、思考の途中で悩みながら書く癖のある者の字ではない。全てを頭の中で整理し、その時点で完成している文をただ文字に起こすだけだからこそ、ブレトン娘の書き付けにはいかなる時にも修正の跡がなかった。
 だが常に一定の速さを保って紙の上を滑らせていたのだろう羽ペンが、唯一ほんの僅かな緊張をインクの濃さとして滲ませた部分がある。それが今もなお私の脳裏にはっきりと焼きついて離れないのだ──〝あなたを愛しています〟と、単なる文字の羅列が強烈な意味を成すと思い知らされたその一文が。

「こんにちは、バラダスさん」
「アルマ、お前か。今日は一体何を持ってきたのだ」
「比較的状態の良かった本がありましたのでお持ちしました。それと何かの設計図のようなものも」

 しかしてそれからも時は過ぎ行き、とある日の夕暮れにほど近かった頃。その娘はいつもそうしていたように不意に私の元に現れ、新たに見つけたというドワーフの書籍や図面をいくつか置いて立ち去ろうとした。相変わらず恋文を書いたことなど生涯に一度たりともないと言わんばかりの顔で、私を見るその目にも恋心らしきものは少しも見当たらない。
 やはりあれは錯覚だったのだろうか。もしもそうであればと願う私の意識が、無意識のうちに幻を見ただけなのだろうか。だが解錠魔法も通じぬ特殊な鍵を用いて封じた箱の中には、確かにアルマが書いた文が今この時も存在している。何も見なかったことにしたいと思いながらも、夜更けにもなれば箱の鍵を開けそれを手に取らずにはいられない。その娘がしたためた文字の一つ一つを、手紙の終わりにたどり着くまで目で追わずにはいられないのだ。静かな、それでいて燃え上がるような情熱を封じ込めたこの恋文を、アルマはどんな表情で我が住まいに携えてきたのだろうか。
 あの娘が一体何を考え、何を想いこの手紙を書いたのか。それに想いを馳せながらも、私は返すべき言葉を口に出すことを自らに禁じた。いつしかアルマに惹かれていたと、それを認めるのが恐ろしかったわけではない。しかしあの娘の愛と呼ぶ感情は、私のそれとは異なるものであろうことが何よりも恐ろしかった。
 アルマを私だけのものにしたいと、例えそれがあの娘の望まぬ手段を用いてのことであったとしてもだと、それほどに深い激情を私は胸の内に飼っているのだ。もしもそれを告げたならば、アルマが私に抱いているであろう偶像は跡形もなく壊れ、あの娘は再びこの塔に姿を見せることはなくなるだろう。
 真実の私を知ってなお共に過ごすことを望むほどこの娘は成熟していない。さりとて二度とその顔を見せるなと決別を申し渡してやることなどできようはずもない。今のまま、これ以上付かず離れず、アルマの顔を見ていられるのならばそれでいい。望み過ぎれば全てを失う、そんなことは当然私とて承知している……。

「それでは失礼します。バラダスさんもお元気で」
「うむ」

 そんな私の内心など知る由もないブレトン娘は、暗くなり始めた天窓に気づくといつものようにそう言って塔を辞した。安堵しているのか、名残惜しいのか。我ながらどちらの配分が大きいのかもはきとはせぬまま、アルマの気配が消えた部屋の中で私は一つ長い息をつき──ふと見やった机の上に、あの娘が借りていくと言っていた本が置いてあることに気づいた。
 大方雑談の合間に存在を忘れでもしたのだろう。今ならまだ間に合うかもしれぬと、私は本を手に取るや否や珍しくも急ぎ階段を駆け降りる。そして妙に長く感じる回廊の終わり近くでアルマの姿を目にした時、私は驚きに息を呑んだ。

「……っ!」

 足音に振り返ったその娘は、顔を歪めてぼろぼろと泣いていた。咄嗟に私に背を向けはしたものの、我が目に映った涙の残像が幻に変わることはない。

「なぜ……泣いている?」

 絞り出すようにそう尋ねた私に、言葉は返ってこなかった。あるいは私の問いがあまりにも本質からかけ離れていたが故に、返事をする意味もないとアルマが判断した可能性もある。
 なぜなら私は恐らく気づいているからだ。この娘がなぜ涙を流しているのか、そのただ一つの理由を。

「……お前は何も尋ねなかったではないか」

 できることならこの件には触れぬままでいたいと願っていた。何もなかったように振る舞うことが、双方のためだと思い込んでいたかった。だからこそ私は口を噤み、独り密かに想いを募らせることを選んだ。こうして責任を押し付けるような馬鹿げた言葉を告げている今でさえ、何のことだとしらを切ってはくれまいかと心のどこかで願っている。
 しかし……。

「あなたが何もなかったことにしたいと考えていらっしゃるのなら、私からお尋ねする勇気なんてありません。面と向かって断られてしまったら、私はもう……こんな風にここに来ることもできなくなってしまうでしょうから」

 何ら具体的なものを指し示したわけではないと言うのに、アルマは寸分違わず私が想定しているものを共有した答えを返してきた。そんなことにさえ互いの意識が通じ合っていることを思い知る。もはや我らは逃れられない。向き合わねばならぬ時が来たのだ。例えこの歪んだ胸の内を明かさねばならなくなるとしても。

「……なぜ私なのだ。お前は一体私の何を知っている?」
「…………」
「そもそも自分の歳を考えてみろ。ダンマーですらないお前が、例え私と一緒になったところで……」
「巷ではテルヴァンニの魔術師なんてみんな頭がイカれていると言われていますよ。その基準がミストレス・セラナあたりを想定されているとしたら、私なんてまだまだ正気の範囲内です」

 涙に濡れた頬を手の甲で拭い、すすり泣き混じりながらもブレトン娘は虚勢を張ってそう答えた。思わず顔を顰めた私を、潤んだままのアルマの瞳が捉える。

「確かに私はあなたのことをほんの少ししか知らないでしょう。でもあなたが教えてくださるつもりがあるなら理解することができます。これまであなたが成してきたことも、これから成そうとしていることも。私はそんなあなたの側にいて、できることならそのお手伝いがしたいんです。そんな風に思わせてくれたのはバラダスさん、あなた一人でした」

 この娘に惹かれていると気づいた時から、己について知られることを私は徐々に恐れていった。どこかで私への興味を失いアルマ自ら離れてゆくならば楽だと思いながらも、この娘に失望されることが耐え難い苦痛のように感じていた。近づいてほしくはない。それでいて引き留めたい。近すぎず、遠すぎぬ程良い場所で。
 だがそんな私の曖昧な願いなど、この若い娘には元より通じるはずもない。あるいは通じていたところで、この勝気な娘は聞き入れなどしなかったであろうが。

「幸い私はネレヴァリンです。ダゴス・ウルがいなくなっても、病気にはかかりませんし老いもしません。斬ったり突いたりされなければ寿命では死なないと言われていますし、よほどのことがなければ数十年であなたを残して世を去るということもないでしょう。ただ……」

 老いて臆した私と違い、アルマは捨て身で挑むことを厭わない。止まったままの時間を動かし、先へと進むことを選ぶ。その先に待っているものが必ずしも望んだ未来ではない可能性もあると理解していながら。

「それでも私には何の興味も関心も持てないとおっしゃるのなら、これ以上あなたを煩わせることは私の本意ではありません」

 ここで私が拒めば、この娘は二度と我が元には現れまい。それを私が知っているように、アルマもまた当然理解している。だから私は触れなかった。ただ先延ばしにすることだけを望んだ。それはあたかもあの老獪なゴスレンが何百年もの間繰り返していた悪癖のように。
 だが今この時アルマは私に挑戦を突きつけた。私は選ばねばならない。逃げるのか、それとも──迎え撃つのか。

「……相変わらず口の達者なことだ、小生意気なブレトン娘めが……」

 背を向ければ全てが終わる。何もかも以前と変わらず整然とした日常に戻るだけだ。だが私がそれを望んでいるのかと問われれば、答えなど一つしかあり得ない。

「よかろう。そこまで覚悟があるのならば、お前の好きなようにしろ」
「……!」
「ただし──」

 私は伸ばした手でアルマの腕をしっかりと掴み、押し殺していた激情を隠すことなく目の前の娘に告げる。

「お前が泣こうが喚こうが、もはや私は二度とお前を離さん」
「!」

 はっと見開かれたアルマの目に嫌悪の気配は感じられない。それどころか、再び涙を滲ませる顔はどう見ても微笑んでいるように思える。そしてそれらの示すところを私が改めて考慮し直す前に、愚かな娘はたまらなく嬉しそうな声で言った。

「……はい!」

 囚われの身になることをこんなにも喜ぶ虜囚がいることを、永らく生きてきた私は今日この時初めて知るに至ったのだ。