全部思い出した

「──え?」

 ぱちりと目を開けると、何だか見覚えのある天井。けれどこんな角度からそれを見たことはあっただろうかと考えるより先に、すぐ側から言葉が降ってくる。

「ようやく気がついたか、アルマ。気分はどうだ」
「バラダスさん? 気分って……え? えっ⁉︎」

 声がした方に顔を向ければ、そこには顔馴染みの老魔術師が立っている。そして私は若干ぎこちないその人のまなざしに驚き、半身を起こした自分の服が知らないものに変わっていることにもう一度驚く。一体何が起こったのか、良くないことであることだけは明白だ。何も知らない方がいいような気もしなくはないけれど、思い出さないというわけにもいかない。

「ち、ちょっと待ってください。私は確か……いいお酒が手に入ったからと昨夜こちらにお邪魔して、そして途中からいろいろ試してみると言って、マッツェとスジャンマを混ぜ……て……」

 昨夜私はいくつかお酒の瓶を持ってアルヴス・ドレレンを尋ね、この塔の主である老魔術師と始めは楽しく乾杯していた。けれど酒場で耳にした地元の飲み方を自分でも試してみたくなって、二種類のお酒を混ぜて飲み始めたあたりから急に酔いが早く回り出した。そんな私を見てバラダスさんはいい加減にしておけと言ってくれていたのに、私はその人と一緒にいられることが嬉しくて、つい浮かれて──そして?

「どうした。全て思い出したか」
「い、いえ。まだ何もかもというわけでは」
「ならば教えてやろう。お前は私の忠告も聞かずおかしな酒を飲み続け、ケラケラと笑い出したかと思えば突然卓に突っ伏し眠り始めたのだ。当然杯の中身はぶちまけられ、お前は自分の服を使い物にならなくした。ゴブレット自体はドワーフの金属製だったおかげで無事ではあったがな」
「……!」

 私は俯いて黙りこくり、手が白くなるほど上掛けを握りしめる。記憶が戻ってくると同時に頭はズキズキと痛み始め、私は昨夜晒した醜態の数々に思わず身震いする。きっと私の顔は今、ドワーフの幽霊よりも真っ青だ。
 ただ、恥ずかしさのあまり相手の顔を見ることなんてとてもできそうにはなかったけれど、それでも一つだけどうしても確認しておかなければいけないことがある。

「あの……バラダスさん、つかぬことをお伺いしますが……」
「この期に及んでまだ何か知りたいことがあるなら言ってみろ」
「うっ。ええと……その、今私が着ているこの服は一体どなたの……?」
「この塔に私以外の他人の衣服の用意などあると思うか」
「っ! そ、そうですよね。では私は昨夜この服を、自分で……?」
「そんな芸当が意識のないお前にできようはずもなかろうな」
「じゃあ誰が⁉︎」
「……私以外に誰がいる」
「!」

 〝デイドロスやアニムンクリに担わせるには複雑すぎる作業であろう〟と、実験手順の一つのようにバラダスさんは淡々と口にしたけれど、私を上下すっかり着替えさせたのがその人だということが、私には他のどんなことよりも重大な問題なのだ。
 ああ、こんな恥を晒すならいっそ目なんて覚めない方がよかった。密かに思いを寄せていた人に、酔い潰れて迷惑をかけていただなんて。しかもあられもない姿を見られていた上に、何とも思われていないだなんて。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。これで嫌われてしまったら、もうこんな風に訪ねてくることさえもできなくなってしまう。そう思うとどうしようもなく情けなくて、自然と涙があふれてくる。できることならこのまま消えてしまいたい。もう飲まない、お酒なんて、二度と。

「バラダスさん……っすみ、すみませんでした。本当に……申し訳、ありま……っ」
「もう済んだことだ、いちいち泣くな。これが他の者なら即刻塔から叩き出しておるが、お前には寝台と着替えも貸してやっただろうが」
「でもっ……!」
「この程度で愛想を尽かすなら、とうの昔にお前を出入り禁止にしておるわ。そら、酔い覚ましを調合してやったぞ。苦いが効く、残さず飲め」
「うぅ……」

 見るからにまずそうな液体が注がれたゴブレットを私に手渡したバラダスさんは、それを必死に飲み下す私の姿をじっと見つめている。そのやけに熱っぽい視線に、私が思わず目を合わせた時。私の胸の奥に燃える炎が再び小さく弾けた。

「アルマ、お前が……」

 それを合図にしたかのように、バラダスさんは抑えた声で囁くように私に語りかける。

「お前が昨夜言ったことは本心なのか。お前が……お前も、私を……」
「?」

 昨夜、ということは酔っている時? 私は一体何を言ったのだろう。いつものバラダスさんなら、酔っ払いの戯言をわざわざ確かめたりなんてしないだろう。でもその人がこんなにも真剣な顔で、改めて確認したいと思うような何かを私は口にしたのだろうか?
 けれど私がそれを問い返すよりも早く、ふっと表情を和らげたバラダスさんは頭を軽く左右に振る。

「いや、よい。アルマ、お前はもう少しそこで寝ていろ。次に目を覚ました時には、お前の悪酔いも消えておるだろうて」
「……は、はい……」

 私が何を言ったのか、バラダスさんは何を言おうとしていたのか。わからないことはたくさんあるけれど、どうやら酔い覚ましの中には眠り薬も入っていたらしい。あっという間に眠気に襲われまともな思考が保てなくなり、私は介抱のお礼を言うこともできずに再び瞳を閉じる。
 そしてバラダスさんのベッドでもう一度眠りに落ちた私は、その人が額に優しく口づけてくれる幸せな夢を見た。