「……よし!」
勝手知ったるヴェロシの塔の中、私は鏡を見ながら些か派手な色の口紅を引いた。女性型のドレモラと同じ衣装に身を包み、頭の左右にはそれらしく作り物の角も装着済みだ。後は勇気を出してこの塔を最上階まで駆け上がり、何度も練習してきたセリフを大きな声で言うだけでいい。
このアルヴス・ドレレンの主、バラダスさんと私は親しい関係にある。と言うよりも恋人という間柄なのだと、少なくとも私はそう思っている。今年の恋人たちの日に思い切って私が打ち明けた想いは、驚くほどすんなりとその人に受け入れられてしまったからだ。
それでいてこんな回りくどい言い方しかできない原因は、恐らく私の告白の言葉が適切ではなかったからなのかもしれない。〝付き合ってください〟としか言わなかった私に、バラダスさんは〝別に構わん〟とだけ答えた。そしてそれから私たちは手を繋ぐことすらもまだ未達成のまま、あの日私が思い描いていたようなことは何一つ実現していない。本当に相手も私のことを好いているのかどうかさえ、情けないけれど正直なところ今もよくわからないままだ。
だから私は思ったのだ──バラダスさんはもしかして私が言った〝付き合う〟という言葉の意味を、魔術の研究に付き合うとか、食事に付き合うということと勘違いしているのではないかと。そうではないと信じたいけれど、もしそうだとしたらとても困る。
「グル……」
召喚ホールのデイドロスはこちらを見るなり一瞬牙を剥きかけたけれど、さすがに何度もここに来ている私を見間違えはしないらしい。その隣を若干の緊張と共に通り過ぎた私は、今日この日のために立てた計画を最後にもう一度おさらいする。
今日は降霜の月十三日、いわゆる魔女の祭典だ。魔術師ギルドがセールを行う日であるということ以上に、一般的には仮装に興じて祭りのお菓子のやり取りをしたり、さもなくば簡単な悪戯をしても許される日として知られている。
けれどバラダスさんはこんな催しに興味も関心もないだろう。恋人たちの日ですら、本人はそれがいつで何のことなのかよくわかっていなかったくらいなのだ。そうであればこそ私はバラダスさんの無関心を逆手に取り、お菓子をもらえなかったから悪戯させてもらうという名目で、抱きついてみたりあわよくばそれ以上のことを仕掛けてみるという決意を持って今に至る。
言葉にしてそれを求められるほどの勇気を持たない私には、こうして冗談めいて実行できる機会が持てるのはありがたい。そのためならこんな大胆な服を身に纏うこともできるし、普通なら命の危険がありそうな行為に身を投じることだってできる。
いくら魔女の日とは言え、テルヴァンニのマスター・ウィザードにこんな馬鹿な真似をしようとする人なんてどこにもいない。それでも私は意を決して最後の階段に足を踏み出す。そうでもなければ確かめられない。私は本当にバラダスさんにとって恋人と呼べる存在なのか、それとも単なる親しい知人の枠を出ていないのかということを。
「バラダスさん、ハッピーウィッチフェスティバル! ご馳走していただけないなら悪戯しちゃいますよ⁉︎」
一気に階段を駆け上がった私はわざとらしく声を張り上げながら、ちょうど本棚の前に立っていたその人に向かってそう言った。こんなにも肌を露出した姿を見られたことはこれまでに一度もなかったし、だからこそ今すぐ逃げ出したいくらいに恥ずかしくもあるけれど、ここまで来たら後には退けない。せめて私を女として意識しているのか、そのくらいははっきりさせてもらいたい。
「ああアルマ、お前か。良かろう、好きなものを選べ」
「えっ……」
けれどバラダスさんは驚くでも、怒り出すでも軽蔑のまなざしを向けるでもなく、さも当然のように綺麗なお菓子が並べられた箱を差し出してきた。全く予想していなかった事態に私は間の抜けた声を上げる。
バラダスさんが魔女の祭典を認識しているだなんて思わなかった。よしんば知っていることがあったとして、こんな風に何かを用意しているだなんて思いもしなかった。もし少しでもこんな可能性があるかもしれないと予測できていたら、そもそも私はこんな格好で今日ここを訪れたりはしなかっただろう。
私の計画は失敗だ。お菓子が用意されているなら悪戯なんてできないし、したがって関係を一歩深めるためのきっかけも消えてしまった。私はただ慣れない化粧と衣装で乱入する痴態を晒しただけであり、自分自身のこととは言え痛々しさで目も当てられない。
「どうした、これでは不満か。魔女の日とやらはこうするものだと耳にしたが」
「え……いえ! あの……不満なんて……そういうわけでは」
「ふむ。たかが菓子とは言え、お前が好むかと考えたのだがな」
「!」
混乱しきり、完全に素の状態のままどうすればいいかまごつくばかりだった私の前で、バラダスさんは考え込むように腕を組みながらそう口にした。その言葉に思わず目を瞬き、私は老魔術師を見つめ返す。
「わざわざ……用意してくださったんですか? ……わ、私のために?」
「他に誰が居ると言うのだ」
呆れたように片眉を上げ、バラダスさんはあっさりと肯定する。
「アルマ、お前がおらねばこんなくだらん催しのことなど知る由もない。だがお前のような小娘ならばこういった行事とやらに興味もあろう。であれば多少の手間をかけてやったところで私の側に害はない」
さらりと述べられたその内容は、バラダス・デムネヴァンニという人にとっては明らかに規格外のことばかりだ。この人はこんなことをする人ではない、そのくらいは私にだってもう十分にわかっている。だからこそ私は驚いた。とても驚いたし、嬉しかった。常日頃のバラダスさんなら絶対にしないようなことを、してもいいと思ってもらえるくらいには特別に扱われているということがわかったのだから。
「時にアルマ……」
「はい?」
「お前はよもやその風体で表を歩いて来たわけではあるまいな」
私が言葉にできない感慨にしばらく耽っていると、バラダスさんは急に顔を顰めて私の全身をじろじろと見る。その視線には残念ながら色めいたものは少しも感じられず、冒険し過ぎた衣装は逆効果だったのかと私は少し落ち込んだ。
けれど……。
「いえ、さすがにそれは。今さっき下の階で着替えました」
「ならばいいが。だが私だからこそお前は無事に済んでいるということをよく考えろ。お前も私の……情人であるという自覚があるのなら、そんなあられもない姿をゆめゆめ他の男の目に触れさせてくれるな。いくら年端もいかぬ小娘とは言え、お前にもそのくらいは理解できよう」
「……!」
私はたった今聞こえた言葉を頭の中で何度も反芻し、ずっと尋ねたかった問いの答えをもらえたことを確信すると、あふれんばかりの感情に突き動かされて勢いよくバラダスさんに抱きつく。恋人であるからこそ許される、私だけに与えられた特権を行使して。
「……っバラダスさん!」
「ぐっ!」
勢いをつけすぎてしまったのかバラダスさんは小さく呻いたけれど、その腕は私を突き放すことなく優しく背中を抱き寄せてくれた。私は顔を上げ、こちらを見つめる赤い瞳と目を合わせると、大いなる期待とほんの少しの恥じらいを込めて思いの丈を打ち明ける。
「あ、あなたでしたら無事に済まなくても私は一向に構いません!」
「…………」
「あの……バラダスさん?」
「く……っククク、ハハハハハハハ!」
そしてその日、私は初めて声を上げて大笑いをするバラダスさんを見た。
