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もう何もいらない

2025-05-13 by 森野 クロエ

 レッドマウンテンの悪魔は滅び、この地には再び平和が取り戻された。現人神が神性を失い、またヴィヴェク卿が宮殿より姿を消した混乱が収まりつつあった頃、私はひっそりと大司教の座を退き、人里離れた庵で独り祈りの日々を過ごしていた。
 かつて聖堂で過ごしていた頃は、いつかこんな時が来たら余生は説話を書いて過ごしたいと思っていたものだ。だがそんな私の夢に隣で微笑みつつ耳を傾けてくれた我が愛しき迷い子、その時は自分も一緒に連れて行ってほしいと健気にも言ってくれたアルマは、もう二度と私の前に姿を見せてくれることはないだろう。したためるはずだった神への讃美はもう長らく筆が止まったまま、私はあの者への謝罪と後悔の念ばかりを尽きることなく記し続けている。
 今もなお目に焼き付いて離れないアルマの涙、耳に残る赦しを乞う声。誰よりも真摯に研鑽を積み、神への祈りと献身を欠かさなかったあの者を、私は全てを剥奪した上で聖堂から追放した。アルマがどれほど優秀な司祭だったのかは、他ならぬ私が一番よく見知っていた。だが異教徒たちの信仰の具現者、神敵ネレヴァリンがその者であったのなら、私は自らの心を殺してそうするより他になかった。
 ヴィヴェク卿からの召喚に応じてアルマが最後に私の元を訪れた時、聖堂を追放された後のあの者がどれほどの苦しみを経験したのかは一目見ただけですぐにわかった。面差しさえも変わってしまうほどの過酷な日々を経た後のアルマには、何か言葉をかけることすら私には許されていないような気がした。ましてや私の罪はどれだけ謝罪を重ねたところで赦されるようなものでもない。
 かつてのような瞳の輝きを失ってしまった愛し子が、宮殿の鍵を受け取ってそのまま私の部屋を出て行った時から、私はあの者の無事と幸福だけを一心に祈り続けてきた。私にできることはただそれだけだった。全ての重荷をその背に負わせ、それでいて手助けをすることも叶わない私など、忌まわしい記憶の一端として遠からず忘れ去られてしまうだろう。いや、既に忘れてしまったかもしれない。思い出したくもない相手のことなど、忘れてしまった方がいいに決まっている。

「……雨か」

 ふと窓の外を見やればぽつりぽつりと雨粒が地面を濡らしていくのが目に入る。この地の常としてしばらくすれば徐々に雨脚は強まり、激しい風も伴うことだろう。バルモラからヴィヴェクへと続く道の傍らで倒れ伏していたアルマと、偶然その場を通りがかり救い出すことができた私が初めてめぐり会った日も、辺りが白く染まるほどの土砂降りで一歩先すらもよく見えなかったものだ。
 午前に作業をしていた農具を室内に入れておくべきかと、私は力無く握りしめているだけだった羽根ペンを机に置く。そして過ぎ去った日の記憶を胸に封じ、薄板で拵えた扉を開けて一歩外へと踏み出した、その時。

「……っ⁉︎」

 厚い雨雲に覆われた空の下、少し離れたところに人影のようなものが見える。何度か老いた目を瞬き、またじっと細めて凝らして見れば、それは確かにある人物の──アルマの姿に相違なかった。
 ダゴス・ウルが打ち倒されてから先、あの者はヴァーデンフェルのいかなる場所でもその姿を目撃されてはいなかった。だからこそアルマは相打ちになって命を落としたであるとか、あるいは既にモロウィンドを離れたに違いないなどと人々は噂し、救世主を不当に扱い迫害しさえした自分たちの過ちを悔いた。
 その時からもうかなりの時が経ち、私はあの者がどこか遠いところで幸せに暮らしていると信じて生きてきた。そうであるからこそこんなところにアルマが現れることなどあり得ない。初めて出会った時のように不健康に痩せた身なりで、頬を流れるのが雨か涙かもわからないほど打ち拉がれた顔をしながら、私の前にずぶ濡れで立っていることなど決してあってはならないのだ。
 しかし……。

「…… アルマ……」

 哀しみに満ちた瞳でじっと私を見つめていたその者は、私が掠れた声で紡いだその名を聞いて微かに口元を歪めた。笑い方さえ忘れてしまったようなその姿に胸が締め付けられる。世界を救った英雄が、こんな表情をしていていいはずがない。遍く全ての民から敬われ、愛され、感謝されて然るべきだ。誰よりもこの者を傷つけた私が言う権利などありはしないが、せめて全てが終わった後ならば幸福に包まれていてほしい──私はずっとそう願い続けていたのに。

「そなたは……なぜ、ここに……?」

 雨音にかき消されてしまいそうな私の問いはしかし、手を伸ばせば触れられそうな距離のアルマの耳には届いていたようだ。その者はしばし俯き、そして再び顔を上げると口を開く。

「私は……」
「…………」
「私は、自分が生きる理由を探していました。もう誰からも必要とされなくなった今、戻れるような場所も無くして……どこで、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまったんです」

 ただ一人アズラの預言を満たした世に二人といない英雄が、こんなにも孤独を抱えているなど一体誰が想像できるだろう。誰もいない荒野をさすらい、自らの生きる意味を探して、アルマはどれほどの夜を独り過ごしてきたと言うのだろうか。
 ネレヴァリンを信じる民はトリビュナルに帰依する者を酷く憎み、現人神の信徒はまた灰の民の異教を蔑んでいた。頼る相手もいないアウトランダーの身から、トリビュナルを奉じる聖堂の者となり、帝国の間者や神敵と見なされ、救世主に祭り上げられたアルマからすれば、どこへ行っても本当の意味で心が安らぐことはなかったのだろう。

「司祭でいられた頃は、誰かのために働けることが嬉しかった。聖堂を離れなければいけなくなっても、ネレヴァリンであるという使命が私を生き延びさせました。でも、今の私には何もありません。ただ──」
「ただ?」
「それでも忘れられないんです。昔の私が夢見ていたことを」
「夢……」
「はい。サリョニ様、いつかあなたが聖堂の職を辞する時が来たら……その時は一緒に連れて行っていただきたいと私が言ったことを覚えておられますか?」
「!」

 それは私が聖堂で過ごした日々の中でも最上の幸せに満ちていた頃の思い出だ。しかしそれがアルマの中にもまた深く刻み込まれていたということは、こうして今ここで告げられるまでは考えもしなかった。もはや共に聖堂で過ごした日々などこの者にとっては苦痛や屈辱でしかなく、全て忘れてしまいたいだろうと思っていたのだから。

「私がネレヴァリンであることを隠していたのは赦されることではありませんし、私の顔などもう見たくもないとおっしゃられても当然です。でも──」

 言葉を続ける間に、あの頃と同じ懐かしい光がアルマの目に再び宿る。優しくもどこか寂しげな、けれど温かく人を引き寄せる光。私が惹かれた愛し子の、一途な真心の輝きが。

「どうか私をもう一度、サリョニ様のお側に置いてはいただけませんか? 私が生きる理由は、生きていたいと思える理由はあなたなんです。サリョニ様、あなたにこの命を救っていただいたあの日から、他にはもう何も望みません。ただあなたの、サリョニ様のお側にいられれば、それだけで私は……っ!」

 アルマが私を傷つけたのではない、私がこの者を傷つけたのだ。だがそう懺悔するよりも早く、私は愛し子の言葉を遮るようにその身体を抱きしめていた。これ以上そんな懇願を続けて、私の罪を赦してほしくはない。私は赦されてはいけないのだ。そう長くもない余生を苦悶のうちに終えることになったとしても、アルマが味わった苦しみの半分にも足りはしないに違いないのだから。
 けれどこの者の望みは、他でもない私の側にいることだと言う。それはアルマの望みではない、私自身の望みだ。こんなにも深い傷を心に負わせてなおその側にいたいなどと願う、浅ましく見下げ果てた私の望みなど叶うことがあってはならない。

「アルマ……我が愛し子、私はそなたに向ける顔など持たない身だ。そなたを残酷に傷つけ、もはやその信頼に報いる資格さえありはしない。だが……もし、それでも……」

 その先を続けることを躊躇せずにはいられない私を、アルマは決して急かさず、批難もせず、ただ静かに見つめている。この者の幸福を願うのならば、私の側になどいない方がいいのだろう。だがその瞳の奥に秘められた微かな希望の煌めきを、もう二度と私自身の手で消してしまいたくはなかった。その小さな芽を慈しみ、守り抜きたい──今度こそ。

「それでも……それでもそなたが私と共にいることを望んでくれるのならば、このソラー・サリョニの全てはただそなたのためだけにあると誓おう、アルマ」
「……!」
「誰からも必要とされないなどと悲しいことを言わないでくれ。私はそなたを必要としている。 アルマ、そなたを……この世界の誰よりも」

 大きく見開かれたアルマの目から、激しい雨に打たれていてもなお涙が零れ落ちていくのがはっきりとわかる。生きて再び会うことはないと諦めていた相手の温もりが、あの時砕け散った夢の全てをもう一度繋ぎ合わせる。

「サ、リョニ、さま……っサリョニ様、サリョニ様ぁ……!」
「ああ……ここにいる。愛し子よ、私はここにいる。ずっとそなたの……そなたただ一人の側に」

 アズラの勇者は声を上げて泣きながら何度も私の名を呼び続け、その一つ一つに返事ができる喜びの何と深いことか。 初めて出会った日のように辺りを白く染めていく雨の中で、 アルマと私は互いの背に腕を回すと再び強く抱き合った。

カテゴリー: Novel, TES3 タグ: TES Short Stories 3

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