私は三大家のホーテイターとなり、四部族のネレヴァリンとなった。ヴィヴェク卿から託された神器の一つであるレイスガードをこの手に、明日の夜明けが来たらいよいよレッドマウンテンへと向かう。
恐ろしいかと問われれば、否と答えることなんてできそうもない。ヴィヴェク卿と相対した時ですら、もし戦う意志があったところで勝てる方法なんて思い浮かばなかったほどなのに、同じ源から力を引き出している――それも日に日に強大さを増しているダゴス・ウルに、どうすれば打ち勝つことができるのか今もまだわからないくらいなのだ。
けれど私の手に光る月と星を模った指輪は、この宿命に背を向けることを決して許しはしない。だから私は旅立ちの前にウルシラクの集落を訪れた。あらゆる恐れを断ち切って、もう一度心を奮い立たせるために。ネレヴァリンという存在を気が遠くなるほどの長きにわたって待ち望んでいた人たちから、預言の最後の言葉を実現させる力をもらうために。そして、私が心を寄せたただ一人の人と最後に一目会うために。
「賢女との話は終わったのか、アルマ」
ニバニさんや、他のウルシラクの人との話を一通り終えた後、私は最後にアッシュカーン、スル・マトゥールさんのヤートを訪れた。まるで待ち構えていたと言わんばかりに送られるその鋭いまなざしは、初めてここにやって来た時には私の息の根も止めんばかりだったことをまだ覚えている。
敵意しか感じなかったその態度が、だんだんと厳しくも温かいものへと移り変わっていくにつれて、私はこの偉大なアッシュカーンにゆっくりと惹かれていった。それは確かにネレヴァリン信仰の守り手へ対する敬意とは一線を画した、一人の女としてこの人の側にいたいという憧憬にも似た恋だった。
もちろんそんな想いが気取られれば相手は私を軽蔑しないはずもない。ただでさえ激しいよそ者嫌いで知られているスル・マトゥールさんが、少しくらい親しく接してくれているからと言って勘違いしてはいけないのだ。こうしてヤートへ出入りをしたり気安く話しかけたりしても許されるのは、ひとえに私がネレヴァリンだからというそれだけの理由しかない。ネレヴァリンたる者を守護すべく運命づけられている人なのだから、もし違う誰かが預言の条件を満たしていたら、私なんてきっと口を利いてももらえなかっただろう。
私はそれを理解していた。けれど、ただそれだけでも満足だった。それがどんな理由であれ、その人と顔を合わせることができるのはやはり嬉しかったのだ。だからこそレッドマウンテンへと向かう前に、最後に伝えなければいけないことがあった。戻ってこられるかわからないからこそ、今この時に言っておかなければいけないことが。
「ご挨拶が遅くなってすみません。明日、夜明けと共にレッドマウンテンへ向かいます」
「いよいよか。ついに悪魔が滅びる時が来たということだな」
ネレヴァリンは悪魔を打ち倒す、そのアズラの預言は絶対だ。残る二つの神器、サンダーとキーニングを手に入れられたなら、私はヴィヴェク卿の記した通りにダゴス・ウルを滅ぼせるのかもしれない。
けれど、その後は? ネレヴァリンが生きて戻ると、そうはっきり書かれた部分は一つもない。敵に打ち勝ったからと言って、五体満足で帰ってこられる保証はどこにもないのだ。あるいは相打ちになって私も死ぬと、そんな可能性がないわけでもない。私はどちらかと言わずとも悲観的に考えてしまう方だから、どうしても自分の命が尽きることを思い巡らせずにはいられなかった。
「私はネレヴァリンになりました。課せられた使命は全うします。でも、もしダゴス・ウルを倒した後で私が戻らなかったら、その時は――」
射抜くような鋭い視線に、ほんの一瞬言葉が詰まる。けれど私は精一杯の笑顔を作って、できるだけ明るくこう続けた。
「どうか忘れてください、私のことを。そしてネレヴァリンはアッシュランダーの勇敢な戦士だったと、そう後の世に伝えてください」
「!」
微かな驚き、そして憤り。そのくらいの感情を読み取れるくらいには、スル・マトゥールさんのことを見てきた自負はある。だから私はもし自分が生きて戻れなかったその時には、部族の誇りのために私の存在を消してほしかったのだ。アッシュランダーたちが思い描いていたであろう、灰の大地の戦士の物語として語り継いでほしかった。彼らが、スル・マトゥールさんが誇ることのできる、〝完璧〟な英雄の物語として。
「なぜそんなことをする必要がある。ネレヴァリンはアルマ、お前だ。我々の間に残らなかった失われた預言の中には、ネレヴァリンがこの地の者でないとはっきり記してあったことはお前も承知の上だろう。それにお前が戻らないとは一体どういうことだ?」
離れていても気圧されそうな雰囲気を纏い、スル・マトゥールさんは低い声で続ける。
「ネレヴァリンはダゴス・ウルに打ち勝つ。その預言は違えることなどない」
「ええ。ですが生きて戻るとまでは記されていません、共倒れになるのかも――」
「そんなことはあり得ん!」
思わずびくりと肩が跳ねてしまうほど、その言葉には強い想いが込められていた。何も言えない私の前まで歩いてきたネレヴァリン信仰の守り手は、私の両肩をぐっと掴むと一切の迷いのない瞳を向ける。
「アルマ、お前は我らが――私が認めたネレヴァリンだ。お前の前にネレヴァリンはなく、お前の後にも等しくいない。お前は我らの希望であり、何にも代え難い誇りだ。アズラの加護を受けたお前が、生きて戻らぬなど私は認めん。必ず生きてここへ戻れ。お前を忘れろなどと馬鹿げたことは金輪際言うな」
そしてスル・マトゥールさんは何かを堪えるようにきつく眉間に皺を寄せ、燃えるようなまなざしを私に注ぎながら静かに言った。
「ネレヴァリンよ、私はお前にまだ打ち明けていないことがある。だが私はそれを口にすることを己に固く禁じた、お前が全ての預言を満たし再び私の前へ現れるまではな。私を守り手としての立場から解くことができるのはお前だけだ、アルマ。そしてその時こそ私はお前に、守り手としてでは伝えることを許されなかった言葉を告げるつもりだ」
「……!」
ほんの一瞬前までは、相打ちになっても構わないと思っていた。戻ってくることができなくても、これまでの日々だけでもう十分幸せだったと思っていた。
けれど、今。私はもう一度スル・マトゥールさんに会いたいと思っている。伝えたい言葉というものが私の頭に浮かんだものと違っていたとしても、それが同じかどうかを確かめたいという未練にも似た思いが限りなく膨らんでいく。
私はもうレッドマウンテンでは死ねない身体になってしまった。どんな酷い傷を負おうと、再びここへ戻ってくるまではきっと死んでも死にきれない。
「それは……困りましたね。スル・マトゥールさんの重荷を解ける人が他には誰もいないというのは」
「そうだ。なればお前は戻らぬわけにはいくまい、月星の加護を受けし者よ」
顔つきは厳しくても、その声はどこか優しい。レッドマウンテンから先の未来を思い描くことができなかった私の心の中に、呪いの消えた世界を生きる希望が少しずつ生まれていく。もしかしたらスル・マトゥールさんと一緒に生きていけるのかもしれないという淡い期待も。
必ずここに戻ってくる、その決意と確信と共に私はウルシラクの集落を後にした。来たるべき最後の戦いに、私は強い心で臨めるだろう。死の臭いに満ちたレッドマウンテンを前にしてでさえ、不思議ともう恐ろしくはない。それは今や私の果てしない未来へと続く、自由への旅路の始まりの場所に過ぎないのだ。
赤い火山へと続く荒れ果てた灰まみれの道を、夜明けのアズラの光が導くかのように柔らかく照らし出す。私はただ前だけを見つめ、全てを終わらせることを改めてネレヴァルの指輪に誓った。
