それは全くもって不覚だった。二つの月が翳ったある夜、荒野で一晩過ごしていた私はサルモールの部隊に不意打ちの襲撃を受けて捕らえられた。統率された動きの兵士たち、それも魔法耐性のある装備品で身を固められている相手ともなると、疲弊しきってまどろんでいた私に最初から勝ち目はなかった。
私はマジカを吸収する特殊な枷を手足に付けられた上に、シャウトを封じるための猿轡を噛まされて黒塗りの馬車に積み込まれた。途中で何度か気を失ってしまうほどに衰弱していたからか、もし厳重な監視がついていなかったとしても、運び込まれた砦がどこかは皆目見当もつかなかっただろう。
どうやら私は自分で思っていたよりもサルモールに損害を与えていたらしく、砦の誰もが拷問部屋に縛り付けられた私を酷薄な笑いを浮かべて見下ろしていた。もはや私の口から何か意味のある情報を聞き出すつもりはなく、兵士たちはただ私を殺すことだけを目的としているようだった。
恐らく私を見つけ次第殺すようにという通達が出ていたのだろう。無論、そう簡単に死なせるつもりがないことは生かしたままここに連れてきたことが証明していた。これから自分の身に何が起きるのか、それはどんなに朦朧とした頭でもさすがに予想はつく……。
「さて、お前はブレトンだったな。その名高い魔法耐性がどのくらい保つかじっくり試しながら嬲り殺してやろう。だが……」
砦の指揮官と思しき男が私のローブを片手で引き裂く。もう声を上げる力さえない私の肌を舐め回すように眺めながら、周りにいた兵士たちは卑猥な言葉を私に投げかける。
「こんな辺鄙な場所ではなかなか愉しみも見つからん。憎い敵とは言えお前は女だ、精々我々の役に立ってから死んでもらうとしよう」
顔を伏せたままの私の顎を持ち上げ、相手がほの暗い愉悦に満ちた目で私の瞳を覗き込む。そんな辱めを受けるくらいなら、いっそ今すぐ死を選んでしまいたい。けれどどんなに強くそう願っても、もう私は指一本動かすこともできなかった。
「さあ、まずは私の相手をしてもらうぞ」
下卑た揶揄の声が飛び交う中、指揮官がおもむろに金色の兜を外す。そして籠手を取り、鎧を脱いだその手が何も纏わない私の肌に触れ──ようとした、まさにその時。
「ぐわっ⁉︎」
爆発と、それに続く熱風。石で造られた壁の一部は壊れ、衝撃で何人かの兵士が倒れ伏している。爆風で吹き消された壁の松明の炎を補うように、周りでは次々と光球の呪文が唱えられる。けれど、燃える廊下の奥から立ち昇る黒い煙は侵入者の姿を隠し続けていた。
「だ──誰だ!」
素早く左右に展開した兵士たちは戦闘態勢を取るものの、魔術師が放った魔法は即座に相手のシールドに弾かれる。そして薄っすらと晴れ始めた煙の向こう側からその姿を現したのは、この場にいることなど天地が逆になってもあり得ないとある人物だった。
「その女に触れるな」
力なく俯いたままであっても、その声を聞き間違えることなんてない。冷たく、感情に乏しく見えても、内には燃えるような感情の渦を抱えているその人物。ウィンターホールド大学の顧問として、そしてサルモールのスパイの一人として。マグナスの目を奪うことに失敗し、表向きにはそのまま死んだと思われている、アルトマーの熟達した元素魔術師。
「お前は……アンカノ⁉︎ 死んだはずでは⁉︎ なぜ我々の邪魔をする!」
「此奴を殺すのはこの私だ。貴様らごときが手を出していい相手ではない」
動揺も露わな兵士たちに、彼は淡々とそう答えた。
あの日、マグナスの目の前で私に膝をついた彼は、視線で人が殺せるものなら殺してやりたいという目で私を睨んでいた。彼の命を奪わなかったことは、私の他にトルフディル先生だけが知っている。先生はこの危険すぎるアルトマーにとどめを刺すべきだと考えていたのだろうけれど、私が彼を許したことを咎めはしなかった。ただ、いつか彼が私に復讐しに来ることを考え、身辺には十分注意するように警告した。
私にもそれはわかっていた。現に、それ以降の旅で彼の気配を感じなかった時などほとんどないほどだ。彼は付かず離れず常にこちらの隙を伺ってはいたものの、不思議と向こうから戦いを仕掛けてはこなかった。
彼は確実に、絶対的な形で、私の息の根を止めたいと思っていたのだろう。それでいて魔術に秀でたアルトマーとして生まれついた彼のプライドは、一方的な奇襲や武器の類で私の命を奪うことを許さなかった。今夜のように私が抵抗できないほど消耗している時、彼は決してそれに乗じようとはしなかったのだ。魔術師としては変則的であっても、再びお互いに向かい合い、正面から正々堂々と万全の状態の私を力でねじ伏せてこそ、人間ごときに遅れを取ったという彼の雪辱は果たされるのだろうから。
もしいつかそんな時が来たなら、私は彼に勝てないだろう。彼は二度と同じ失敗なんてしない。次に彼が私の前に立ちはだかった時、恐らく私は死を迎える──そう思っていたからこそ、こんな風に〝その時〟を迎えるなんて少しも考えたことはなかったのに。
「突然現れたと思えば何を馬鹿な! この女を捕らえたのは我々だぞ、処刑する権利も当然我らのものだ!」
「二度同じことを言わせるな、その女は私のものだ。それとも……私に挑戦しようと言うのか? 貴様らのような下級兵士どもが? 厚かましい!」
その言葉が終わるや否や、一瞬にして激しい戦いが幕を開ける。火焔が、雷撃が、あらゆる空間を侵食していく。頭を垂れたままの私の耳には次々と悲鳴が聞こえてはいたけれど、その中に彼のものはきっと一つもなかっただろう。
すぐ近くで炸裂した火炎球が拷問台を破壊し、私は床に放り出される。あと少しでも力があれば逃げることもできたかもしれないけれど、周りに散らばる死体と大差ない状態ではそれも叶わない。そして──。
「このサルモールの面汚しめが! そんなにこの女に執心か⁉︎ ならば──」
再び鎧を纏った指揮官に乱暴に髪を掴まれ、引っ張り上げられた私はそこでようやくアルトマーの魔術師の顔を見た。これだけの人数を相手にすればさすがの彼も無傷とはいかず、その身に纏うローブは破れ、額のあたりから赤い血が流れている。それでももう片方の手で持った剣を私に突き刺そうと振りかぶった指揮官へ、彼の手から放たれた雷撃の威力が弱まっているとは思えなかった。
「……立て」
燃え盛る炎に囲まれつつある中、倒れたままの私の頭上から冷たい声が降ってくる。
「立てと言っているのが聞こえんのか」
若干の苛立ちを滲ませたその声に返事を返したくとも、それすらできないことが悔しい。
「……これだから脆弱な人間風情は……!」
忌々しげな舌打ちの後、落ちたままの私の視線の先に突然彼は膝をついた。何かを探るような布の音、不意に抱き上げられる身体。そしていとも簡単に持ち上げられたことに驚きを感じるよりも早く、猿轡を外された私の唇に彼のそれが重なる。
「ん……!」
口移しに流し込まれた液体の味には覚えがあった。ここまで疲労困憊、瀕死であればすぐには効果がなくとも、徐々に体力を回復してくれる類の薬だ。良薬の謂れ通り苦いそれを私は好んでいなかったのだけれど、この時喉を通った薬はなぜだかひどく甘く感じた。
「何だこの薬は……効かんではないか!」
彼は悪態を吐きつつ外したマントで私の曝け出された身体を包むと、自身も怪我を負っていながら私を背に負って歩き出す。一人で砦中を殲滅したのか、更なる応援が駆けつけてくる様子はない。今なお燃える建物は灰となって炎の中に崩れ落ち、このままここにいれば私は元より彼の命も危ないだろう。
彼が私を助ける謂れはない。復讐を果たすためとは言え、ここで共倒れになるくらいなら私なんて放っておけばいいのに。
「ア……ンカノ、さ……」
そう思って精一杯声を上げようとしたのに、彼は返事もせずに歩き続ける。
「どう……し……て……?」
途切れそうな意識を必死に繋ぎ止めつつ、足を止めない彼に問う。しばらく答えはもらえなかったけれど、降りかかる火の粉を片手でぞんざいに払いながら彼は小さく呟いた。
「……今ここでお前に死なれては不本意なだけだ」
「でも……」
「無駄口を叩ける体力があるのなら自分の足で歩け!」
「あ!」
さっと手を外された私はかろうじて倒れ込みこそしなかったけれど、その場にへたり込んだまま自分の力で立ち上がることはまだできなかった。そんな私をきつく眉を寄せた長身のアルトマーが見下ろし、私は今度こそ殺されるのかと怯えた目で相手を見上げる。
それでも彼は歯ぎしりでもしそうな表情のまま再び膝をつくと、私の片腕をその首に回し、身長差に難儀しながらも肩を貸して私を立たせてくれた。
「あんな虫ケラどもに捕らえられるとは血迷ったか? 様を見ろと言ってやりたいが、アークメイジ・アルマが聞いて呆れるわ」
「すみ……ま……せん……」
最初は引きずられるように、けれどだんだんと自分でも足が出せるように。一歩足を踏み出す毎に感じる薬の効き目は目を見張るほどで、身体中の酷い痛みもいつの間にかほとんど感じなくなっている。一体どれほど高級な回復薬を飲まされたのか、さすがにそれを相手に尋ねてみようとまでは思わなかったけれど。
「勘違いするな、私はお前を助けたつもりはない。はっきりと言っている通り、お前を殺すのはこの私だ。そうであるからこそ、こんなつまらん死に方をされては興醒めなだけだ」
見覚えのある街道のあたりまで私を連れて来てくれながら、アンカノさんは相変わらず不機嫌そうな声でそう吐き捨てた。けれど背の高い彼の長い脚から導き出されるはずの広い歩幅に、ついて行くのが苦ではなかったのは単に私の気のせいだったのだろうか。
「私以外のいかなる要因によっても死ぬことなど許さんぞ。お前を殺すのはこの私、アンカノだ。覚えておけ」
「は……はい」
「他の誰にもあんな風に触れさせたりするな。わかったか!」
ようやく自分の足でしっかりと歩けるようになった私に、アンカノさんは指を突きつけてそう言い放つとどこかへ消えてしまった。
その瞬間胸の奥に感じる、微かな痛みと欠落にも似た寂しさ。自分の命を狙っている相手だということはわかっているのに、もう一度会いたいと願わずにはいられない。次に相対する時がどちらかの死を意味することだってあるかもしれないのに、それでも。
「……アンカノさん……」
私の呟いたその名は白い雪にかき消されて誰にも届かない。けれど冷え切った手足とは逆に、私の心はとても温かかった。
