いい素材を使ってますね

「アリーレさん、ちょっといいですか?」
「アルマ? ああ、構わないよ。どうした?」

 モロウィンドに再び平和な日々が訪れ、私はアルマと今日もこうしてセイダ・ニーンのトレードハウスを営んでいる。一階の店番や品出しのみならず、二階の調理や給仕、果ては帳簿付けから発注作業に至るまで、文字通り何でもこなしてくれる彼女はもはやこの店には欠かせない──もちろん、私自身の人生にも。

「上のお店で出す新しいメニューをエローネさんと考えていたんです。ちょうど試作品ができたので、よければ感想をもらえたらなと」
「!」

 そう言ったアルマが手に持っている皿の上には、まだふんわりと湯気の立つマフィンがいくつか並んでいる。見た瞬間に腹が減るような役得を二つ返事で引き受けた私は、そのうちの一つを手に取って口に運ぶや否や思わず感嘆の声を上げた。

「美味い!」
「本当ですか?」

 それはマッドクラブの肉をふんだんに使ったクラブケーキで、噛み締めるごとにカニの風味が口いっぱいに広がる絶品だ。アルドルーンの宿屋でも同じようなものを出していると噂に聞いたことはあるが、うちの店でも出せばすぐに評判の一品になるだろう。

「ああ、本当に美味いよ。えぐみや臭みも全くないし、これを手頃な値段で出せるなら必ず人気が出る。私が保証するよ」
「よかった。材料自体はすぐ手に入るものばかりなので、価格も安く抑えられると思います。幸い新鮮なマッドクラブはこの辺りで簡単に獲れますし」
「なるほど、だから君はさっき席を外していたのか。昔取った杵柄は今もまだ健在というわけだ」

 アルマは今でこそネレヴァリンとして誰もが知る存在になったが、それよりも前、彼女が初めてこのヴァーデンフェルに身寄りもなく降り立った頃、しばらくこの町に滞在していた時にマッドクラブ売りをしていたことを知る者はそう多くない。初めこそ草やキノコを私の店に売りに来ていたこともあったものの、マッドクラブ卸を生業にしているドラレン・シララスが高値でカニ肉を買い取ると知ってから先、アルマは凄腕のカニ漁師としてこの周辺で名を馳せていた時期があった。彼女の獲物はとにかく活きがよく、締め方も上手くて鮮度が保たれているとペラギアドやバルモラでも人気があったそうだ。
 そこである程度の蓄えを得たアルマは伝説の英雄への道を歩み始め、この地に伝わる預言を成就させて再びこの町に戻って来た。けれどその間も折に触れて彼女がセイダ・ニーンを訪れる度、専業のカニ漁師としてもう一度やっていくつもりはないかと、ドラレンがかなり真剣な様子でアルマを説得している場面を目撃したこともある。その時に感じた何とも言えない落ち着かない気持ちの正体は、今から思えば彼女の手を握っていたドラレンへの嫉妬だったのかもしれない。

「このレシピはシンプルなんですが、その分いい素材を使わないと味に違いが出てしまうんです。その点ここは海辺に出ればいくらでもいいカニが手に入りますし、ドラレンさんから買いつけても多少は顔が利きますので」
「だがいい素材を使っているだけじゃこんな味にはならないだろう? やっぱり作り手の腕もよくなければ、誰でも同じようにというわけにはいかないよ」

 そう言いながら私はアルマを引き寄せて額に一度キスをする。もう何度繰り返されたかもわからないこんなちょっとした触れ合いにさえ、今も変わらず眩しそうに微笑んでくれる彼女がたまらなく愛しい。
 ネレヴァリンとしての試練を一つ一つこなしていく傍ら、アルマは私の店にも足を伸ばして顔を見せてくれた。相手が徐々に手の届かない存在になっていくことはわかっていながら、それでも私は彼女のひたむきさに惹かれていく自分を止めることはできなかった。そしてアルマがネレヴァリンとしての決戦に赴く前の最後の夜を、私と共に過ごしたいと部屋の扉を叩いてくれた時から、同じ想いを抱いていたと知った私たちの心が離れたことなんて一度もない。
 わざわざセイダ・ニーンまで何度も足を運んでいたことも、私に会いたかったからだと打ち明けてくれたあの時のアルマの表情。それは私がアルトマーとしての長い生を終える時でさえ、決して色褪せることなく私の心に残り続けるだろう。

「喜んでもらえて嬉しいです。これでお店のお客さんがもっと増えてくれればいいんですが」
「……君の気持ちはありがたいが、私としては少し複雑な気分だな」
「えっ?」

 アルマが私と一緒に暮らし始めてから、ただでさえネレヴァリンのいる店として彼女目当ての客がずいぶんと増えた。あるいは巡礼地的な場所として見做されているのかもしれない。そういう客はネレヴァリンとしての彼女に敬意を抱いているから、マナーの悪い者はいないし店の売り上げも目に見えて上がっている。
 けれどアルマという一人の女性を妻に持つ夫としての私は、自分の伴侶が大変な人気のある英雄だと思い知らされる度に、誇らしくもありまた寂しくもあるという複雑な心境を味わうのだ。

「いや、何でもない。じゃあもう少し材料のクワマ卵と小麦粉を多めに仕入れようか。メニュー表もだいぶ古くなっていたから、この機会に書き換え──」
「アリーレさん」

 そんな狭い心のぼやきからどうにか話を変えようとした私に、きっと何もかも気づいているだろうアルマは優しく私の名前を呼ぶ。

「このクラブケーキですが、実は一つ秘密がありまして……」
「秘密?」
「はい。この特製ミックススパイスをかけると、もう一味も二味も美味しくなるんです」
「!」

 小さな小瓶に入ったスパイスを意味ありげに振りながら、アルマはどこか悪戯めいたまなざしで私を見上げ声を潜める。

「でもこれはお店には出さずに、あなたと二人の時にだけ使うつもりです。一番美味しいものをお店に出さないなんて、私は悪い妻でしょう?」
「……アルマ……」

 彼女にとって自分はいつでも特別な存在なのだと、こんなにもはっきりと伝えられることが幸福でないはずがあるだろうか? 救世主ネレヴァリンであるアルマの誰も知らない表情を、この目に焼き付けることができるのはこの世界でただ一人私だけだ。

「あ……もうお昼の時間ですね。アリーレさんさえよければ、スパイスをかけたクラブケーキで昼食にしませんか?」
「ああ、そうしよう!」

 最愛の女性からの最高の心遣いに報いるためにも、私は早速そのとっておきの味を堪能するためにアルマと昼休憩に入る。彼女をもう一度強く抱きしめ熱い口づけを贈るのは、私たちのプライベートな部屋の扉が閉まってからにしよう。